富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Pablo Larraín “Le Club”

fookpaktsuen2016-03-27

農暦二月十九日。晴。1979年以来だかで寒いイースターなんださうで厚着してゐるが寒く少し風邪気味。午後、官邸により雑用済ませ金鐘に出る。初めて日産NV200のタクシーが空車で来たのでミニバス待つてゐたのだが気がついたら手を挙げてNV200を停めてゐた私。ワゴンの後部座席は乗り心地ではセダンには劣るが荷物を入れるには楽で車椅子で乗る設備もあり。金鐘から中環方向に乗つたトラムは中银大厦の前で停止。先行のトラムが数珠つなぎで、近くで事故でもあつたのか乗客は降車。舊中银大厦の前は坂で急なカーブのあるトラムにとつて難所なのだが、そこで1輌のトラムが見事に脱線、それも線路と交叉するほどで、どうすればこんなに?で横転しなかつたのが不思議なほど。香港電車公司の救援車両来て脱線車両を軌道に戻そうとするが難儀。野次馬はやめたが脱線から2時間近く経つて復旧の由。按摩。晩遅くに旺角東のUA戯院で香港映画祭の智利映画でPablo Larraín監督の“Le Club”見る。数年前にこの監督の“No”という映画見てゐるが、それは智利のピノチェト独裁に抗するマスコミ人たちの奮闘だつたが今回のこの作品は智利の辺境の海岸沿ひの集落にあるカソリックの退役神父のための養老施設が舞台。此処は在職中に少年への性的行為や児童売買への関与等何らかの罪犯した神父たちを教会が謂はば隠遁させる場で、そこはそこで自閉して上手くいつてゐたやうに映るが一人の放浪癖のある男が、この建物の前で自分が少年のころ、此処に住まふ元神父Aにいかに性的虐待を受けたか、を戸外で叫ぶやうになつた事から見た目平穏な日々が騒がしくなる。まづ、この青年をどこかに失せさせろと同居たちから強いられ威嚇用に拳銃を渡されたAは青年の前で拳銃を顳顬に当て自殺。警察の調査に彼らは嘘を語り、最も年老いた元神父は痴呆で警察に何を言ふかもわからない。この事件のあと、その施設に五人目の神父がやつて来る。監視役のやう。この真っ当な神父の登場でこの施設の磁場が歪み……と何とも重い、ラライン監督が政治の次にテーマとした同じ権力装置としての〈教会〉の恥部を顕にする試み。だが異教徒の私には飲み込めない観念的世界のありさま。
民進党発足。国民の期待は低いやうだが考へてみれば橋下維新とみんなの党が躍進し下手したら自民、維新、みんな……で民主党はそれに蹴落とされるのでは?といふ時代もあつたと思へばみんなも維新も自己崩壊的で民主党に手柄もないことだが、あの当時の危機的状況に比べれば今はまだマシかもしれない。
イスラーム学者の中田孝と松山洋平の対談(週間読書人2月26日)より。ISについて「あれはイスラームではない」と語つてゐる人たちの方がはるかにイスラームから遠く離れてゐるのが事実。日本人にとつて自分の信仰について全く知らないことがイスラームを知る上での最大の障害になつてゐる。例へばクリスチャンはキリストが磔になり人々の贖罪となり……といふ心情を、これはあくまでキリスト者の心情で異教徒がそれを信じないとは当然とわかつてゐる、自分の心情や世界観が空いてにとつて絶対ではない。無宗教の日本人は自分の信条を全人類が等しく信じるべき普遍的価値と考へてゐないか。それでムスリムも異状に思へる。自分たちの信じるものが普遍的な絶対的価値といふ思ひこみを改める、それが他者との対話のための条件、と。御意。防衛省防衛研究所がISの脅威拡大で「日本を含む東アジアの安全保障脅かし日本人が攻撃対象になる可能性あり」と年次報告書で指摘。そもそもおたくの政府がそういう日本をそういう環境にしているのですが……どうよ。
▼歌舞伎雨役者の中村歌江丈逝去。享年八十三。成駒屋で晩年の大檀那後見務め、この人が後見でゐるだけで安心したもの。