富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

自由と国家

fookpaktsuen2016-02-25

正月十八日。曇。日本からのお土産、と先日、香港大のN先生に可愛らしいムーミンスナフキンさんのカードシールいたゞく。Suicaの定期券とかに貼つてしまふと恵比寿↔中野とか名前とか隠せて(ICチップには影響ないので)必要な時は剥がしてまた貼れるといふ。これを香港IDカードに貼つてみる。本土派の諸君が香港特区の旅券に「香港國」とかシール貼り叱られてゐたが。 
共同通信世論調査内閣支持率は多少下がっても46.7%で不支持は38.9%と4割に至らず。議員の舌禍、不倫醜聞で自民党の不祥事に「緩んでる」は77%に達してアベノミクスの無策明らかになつても、いくら民主と維新が合併唱へたところで「野党は所詮ダメ」が晋三に有利に働くのだから。一昨日の朝日新聞樋口陽一先生のインタビュー記事「個人の尊厳、まだ学ばねば」あり。1989年の岩波新書『自由と国家』について「今更ながら」語る意義。それは近年、社会的な発言をする場を以前より広げてゐる、それまでは先生曰く代表的なメディア(朝日新聞)にたまに出るほかは(岩波)新書を書くか一部の総合雑誌=つまり『世界』に寄稿するだけにする、さういふ自己原則をずっと貫いてきたが、第2次安倍政権になって〈街頭に出る〉ことをあへてしたのは「国家に対抗する勢力が減り日本社会から多元性が失はれてきた」と感じられたからだ、と。

明治憲法下の日本にも立憲主義を大事に考える人々がいた事実を私はこの本に書いています。「立憲」や「憲政の常道」がキーワードとして語られていたのです。ただ1930年代以降は立憲政治が葬り去られ、軍部による戦争拡大に歯止めがかけられなくなる。
「戦前=暗黒の時代」とする単純な見方では日本の針路を誤る、と感じ始めていました。それなりに立憲が実現している時代があったのに、なぜ終わってしまったのか。それを考えることが重要だ、との思いが強まったのです。
振り返れば1989年は、日本で経済のグローバル化が広がり始めた時期でした。人々は「会社共同体」から放り出され、かろうじて残っていた農村共同体も壊されます。保護してくれる盾を失った個人に向けて「郷土」や「美しい国」といった口先だけの癒やしを提供する政治が台頭する。それが今の安倍政権につながる流れです。

同じ朝日新聞高橋源一郎の論壇時評から(メディアのいま 縮こまっているのは誰?)。

この春のテレビの番組改編で、安倍政権に批判的な看板キャスターやコメンテイターが同時に降板する。(略)政治的な圧力のせいなのか、それとも「自主規制」なのか。
毎日新聞は、海外メディア東京特派員の声をとりあげた。「利用価値のあるメディアの取材には応じ、批判的なところには圧力をかける『アメとムチ戦略』。そうやってリベラル勢力の排除を徹底しているのが安倍政権だと思います」という声。あるいは、総裁再選直後の会見で、質問が自民党記者クラブの所属記者だけに限られたことについて。「外国人記者外しは、逆に言えば、日本人記者の質問は怖くないと政権・与党になめられているということ。それに対して、なぜもっと怒らないのですか」
「世界報道自由度ランキング」で、民主党政権時11位だった日本は、昨年3月61位と先進国で最下位にまで落ちこんだ。だが、そのことに対する危機意識は、意外なほど乏しい。メディアはもう「萎縮」してしまっているのだろうか。

この論壇時評の隣に小熊英二の連載(あすを探る)がやはり「無難な報道機関 必要か」と出してメディアへの圧力と萎縮について指摘してゐる。

「文句がつかない」ことだけを重視するなら、政府広報と天気予報だけを流すのが、いちばん「無難」であるだろう。ふた昔前の、広範に情報を届ける機関がなかった時代なら、それでも一定の役割を果たしているといえたかもしれない。しかしネットが発達した現在、そんな報道機関は、誰も必要としていない。
現代の報道機関は、情報を広範囲に届けるだけでは十分ではない。情報を総合し、何が起きているかを診断し、放置すれば悪化することを警告するのは、社会に必要な役割であり、報道の「公正」なあり方である。いわゆる「権力の監視」という役割も、ここに含まれる。
あるいは、各分野の専門職と協力して、状況を改善するための対策を提示するのも、「公正」な報道のあり方だ。もちろん特定の政治勢力を、何の根拠もなく支持する報道は、「公正」の範囲を逸脱するだろう。しかし、社会が必要とする対策を実現しようとしている政治的動向を重視した報道をするのは、「公正」の範囲に含まれると思う。