富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

旺角魚蛋騒動

fookpaktsuen2016-02-09

正月初二。快晴。夜中に何度か目は覚め小用にも起きたが八時間も寝る。正月休みでストレスもなしで安眠か。起きてテレビつけると旺角で夜中に暴動あり魚蛋など賣る小販(路上の屋台)取り締まり、本土派云々、MRTも旺角站封鎖の由。正月早々に何事かと思へば雨傘運動以来パッとしない「本土派」の若者諸君が「路上の小販のどこが悪い!」で正月の元旦晩に賑はふ旺角で「小販を大通りへ!それを守ろう!」の運動に警察がそれを取り締まれば「待ってました」で暴れ蚊弱い香港警察も情けないほど目がテンパって顔を痙攣らせ少し怪我すれば「うわーっ」と大泣きで路上に倒れ暴徒の惨さ強調され、天下の宝刀たる胡椒スプレーで応戦、未明には「鎮圧」なのに旺角のMTR站まで閉鎖する過剰反応……なんだか正月早々、本土派の若者と警察の詰まらない魚蛋騒動のB級芝居見せられた感あり。本土派の若者たちも香港警察も「どっちも大概にしろよ」といふ世論になれば、事実上「本土派側の負け」といふことになるでせう、と香港政治K教授。実際にもはや雨傘騒動以来、とくに暴れるだけの本土派に対して世論の支持は絶望的。天気もいゝので家人と路線バスで慈雲山へ。往路のバスの車中で内田良『教育という病』光文社新書読了。慈雲山の団地から沙田坳道の坂上るつもりが中腹の観音廟まで上がる坂道を参拝客が進むのを見てこちらに。坂の途中で母から「銀行からマイナンバー登録云々のお知らせが届いたが……」と電話あり母もこの香港の「暴動」を知つてゐた。観音廟は獣数年前に訪れたときは鄙びてゐるどころかずいぶんと荒廃して野良犬に追ひ立てられたが東華三院の資金でずいぶんと立派に改修増築。ここで正月詣り済ませたことにして沙田坳から獅子山に上る。ここも十年ぶりくらゐかしら。フィリピン女性の行楽客多し。野猿も申年でずいぶんと人気でカメラに収まつてゐる。この獅子山から金山に群生する野猿てつきり地元の猿だと思つてゐたら100年前に英国人が城門水塘を建設した際に付近に原生する牛眼馬錢(マチン)が有毒で水質に影響与えるといふことでマチンの実を食べる種の猿をインドから連れてきて水質保全に役立てやうとしたものだつたとは……その猿が天敵もおらぬ地で繁殖した結果が今の猿山状態(蘋果日報)。獅子山から望夫岩を抜け紅梅谷に降る。路線バスで観塘。船で北角に渡る。定員160人余の船に乗客は4名のみ。アゴタ=クリストフの『ふたりの証拠』読む。前作『悪童日記』で双子の兄弟のうち、その国に残つた少年、名前はリュカと明かされるが、そのリュカの物語。前作から「少年の裸体に似て無駄のない簡潔さ」(塩野七生)のままリュカの十代から二十代にかけての不幸のなかでの不安定な幸せが語られる、勿論、戦争が終はりその国は共産体制で社会は疲労してはゐるが。リュカは二十代の前半で大きな失望のなか物語は途切れるが、東西冷戦が崩れたあと国を出てゐた兄弟(クラウス)が帰つてくる。晩に豚肉のお好み焼き。テレビで正月特番だかで「嵐15周年記念VS嵐」とかいふ番組やつてゐて、つい見てしまふ。昨年8月のフジテレビの番組で先月のSMAP騒動と直接関係ないが「15年やつてこられたことへの感慨」がSMAPと対比されて意味深。早寝するが夜中に起きてしまひアゴタ=クリストフの『第三の嘘』読む。残酷でありながら衝撃的に伸びやかな「ぼくたち」悪童の話が実は……と創作と事実の混乱の中で明らかにされる。途中で読まなければ良かつた、と思ひもする。アゴタ=クリストフ自身が10歳でハンガリーを出てフランスで亡命生活を送るわけだが彼女にとつてはハンガリーに置き去りになつた自分と亡命した自分の二者がゐるわけで、その二者の存在は空想でも現実でもない。ふだん小説嫌ひのアタシが日に2冊も読むのだから、どれだけこの小説が面白かつたか。
▼内田良『教育という病』光文社新書。折から新聞には「組体操対策、文科相が来月までに方針」「大阪市はピラミッドとタワー禁止に」と記事あり。筆者は組体操、10歳の子ども対象にした½成人式、運動系部活動など通して教育の「病」を具体的に分析。単なる理念上での避難ではない。群馬県教委のやうに「学校行事のための体育ではない」「体育大会での組み体操は体力を高める運動にならない」と指摘する県もあるが組体操は学習指導要領に記載なく学校の判断。

大きなピラミッドにおいて最も大きな負担のかかる子どもたちは外からはその姿を見ることはできません。それでもその子どもたちは歯を食いしばりピラミッドの完成を願っています。そんな彼、彼女らを信頼しているからこそ最後の1人は勇気を出してピラミッドの頂上で両手を広げることができるのです。

最初からその信頼関係はなく失敗繰り返す練習のなかで、その信頼関係が生まれ保護者たちもその子どもたちの努力を知つてゐるからこそ感動する、教員は尚のこと、そのピラミッドの完成に涙する(坪内幸太「組体操の魅力はズバリ「感動」だ!」……嗚呼。大阪で組体操はとくに盛んだつたが、その関西体育授業研究会の事務局が置かれたのは大阪教育大学附属池田小学校。不審者侵入での児童殺傷事件のあと20億円かけ日本代表する学校安全のモデル校となつた学校で組体操が盛んとは。感動、一体感、達成感……「善きこと」としての教育がリスクを不可視させる。体罰など教師の暴力はネットに動画でアップされないが危険行為の組体操はネットで盛んに披露される。善かれとされる場所は学校だけでなく家庭も一緒。「あなたにとって一番大切なもの」でも家族は圧倒的に大切といはれるが殺人事件で加害者の53.6%が親族によるもの(平成25年の犯罪白書)。私たちは不審者に怯えるが不審者による殺人はわずか11.7%で父母による殺人は増加傾向。危険がつねに不審者対策に向けられるが実は学校や家庭の中に危険のリスクが多いこと。感謝の気持ちの裏返し。½成人式が卒業式等と同じく「大人に」感動を呼び起こす。子どもを題材にしながら学級、学校全体で感動を呼び起こす行事を教育社会学者の著者は〈集団感動ポルノ〉とまで呼ぶ。教師はこれを聞いたら憤慨するだらうが、この感動追求のプロモーターが教員。教師といふ「特殊な」職業(この教員の非社会性が日本の教育の大きな問題なのだが)ゆゑの個人的感動もあるが保護者が最も喜ぶ感動が何かわかつてゐるから、これに熱心になる。部活動も「きみたちのため」でシゴキも教員の週末返上の生活の欠落も帳消しにされる。シゴキの過剰さも「教育指導の一環」で司法判断では公務員の誤謬は個人の責任とされず保護者や卒業生から教師に対する処分軽減請求の署名が集まる。社会の学校化。学校的な価値観が制度に組み込まれた社会(イリイチ)。学校的価値観への社会の賛同が日本はとくに強い、これが明治の教育改革で出来上がつてしまひ何の疑問もないまゝ今日に至つてゐる。
総務相高市女がテレビ局などが「放送法違反」繰り返した場合に電波法に基づき電波停止に言及*1環境相の丸川女は福島核禍で国が定めた年間被曝線量の長期目標1mSv以下は「何の根拠もない」と暴言。沖縄北方領土担当相の島尻女は「歯舞」読めなかつた由。……さすが晋三の女性が輝く党ぶり見事。SPEEDといふ芸能社中の今井女も山東昭子の引き合ひで自民党から夏の参院選に出馬だとか。

ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

*1:増田寛也総務相の電波法についての答弁(2007年の衆院総務委)自主的な放送事業者の自律的対応ができない場合には電波法の76条1項の適用が可能だと思う。ただ、行政処分は大変重たいので、国民生活に必要な情報の提供が行われなくなったり、表現の自由を制約したりする側面もあることから、極めて大きな社会的影響をもたらす。したがって、そうした点も慎重に判断してしかるべきだと考えている。