富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-02-04

農暦十二月廿六日。立春。晴。朝の気温は摂氏13度。建物が冷えきつてゐて暖房が要る。早飲にしても早飲が早すぎる……と知己の指摘少なからず暗くなるのを待ち夕食前にウオツカをショットで1杯でカレーライスの夕食に合はせバーボンのソーダ割り。さすがに昨晩の7時間の飲みづかれで体力なく早寝。
▼俳優の風間俊介君の語る両親の話。小学校低学年のときに、朝起きたら自分が東京ディズニーランドの駐車場にゐた、と。寝てゐる姉と彼を起こさないやうに車で運んでくれて目覚めたら「さぁ着替えよう」でディズニーランド。戸板康二ぢゃないが、ちょっといゝ話。
▼選挙権年齢が18歳以上に引き下げられたことで文科省が昨年10月に高校生の校外での政治活動を解禁する通知出したが1月末に「政治活動は学校への届け出させる」こと認めたといふ。SEALsで国会前のデモに参加も学校に知らせなければいけない、か。呆れた話だが、そもそも高校生の校内外での政治活動が全面的に禁じられてゐたんださうで(1969年の文部省通知)。私ら小学校の時には体育館の舞台で地元の国体に来臨した昭和天皇の挨拶を真似て先生も叱りながら大笑ひし、中学の時の文化祭では落語倶楽部で政治家の贈収賄だの政治ネタも噺のマクラに出来たし、高校の時も週末は成田闘争に参加する同級生もゐれば教師が校門前で新左翼のビラを配つてゐたが、それも当たり前の光景で、まさか高校の内外で政治活動が禁じられてゐることすら皆目知らず。それが許容されてゐたのだから。なんて世の中が不自由になつてゐるか痛感。東京新聞の「言わねばならないこと」で元文部官僚の寺脇研さん「国民の権利、侵される」(こちら)。

憲法23条に「学問の自由」が明記されているのに、安倍晋三首相は国会で、国立大学での国旗掲揚と国歌斉唱について「正しく実施されるべきだ」と述べた。卒業式や入学式も教育行為と位置付けられるので、大学の教育に政府が口をはさむ違憲発言だ。文部科学省が国立大学に人文系学部の廃止を求めるような通知を出した話も「大学の自由」への介入だ。教育委員会制度を変えたことで「教育の政治的中立」も損なわれた。政府が指定した情報を漏らすと厳罰を科せられる特定秘密保護法でも「知る権利」「表現の自由」が制限される恐れがある。私たちの生活全般にかかわる国民の権利が侵され始めている。

憲法学者の7割が9条で自衛隊の存在に意見の恐れがあると判断、意見の疑ひのある状況を解消すべき、と晋三(3日の衆院予算委で)。憲法学者の7割が、としたのは朝日新聞調査で63%の切り上げ。これについて自衛隊の存在と支持は安定しており不都合は何もない、憲法学者の判断持ち出すのなら安保法制について9割の学者がこの法律を違憲と見ており、それの撤回が先、と柳澤協二氏。
▼「快さの裏側に」朝日新聞(3日)の特集(こちら)。軍歌に明るい近現代史研究家の辻田真佐憲さんが

先月、大阪市で開かれた、とある講演会でのできごとを知って、仰天しました。「陸自の歌姫」とも言われ、いわば「官製アイドル」として活動している陸上自衛隊の女性自衛官が登場し、軍歌「海ゆかば」を歌ったというのです。これまでも、マイナーなアイドルが軍歌を歌うことはありましたが、あくまでマニアの間でのことでした。しかし現役自衛官が「海でも山でも、天皇のそばで死ぬ覚悟だ」という歌を歌うというのは、レベルの違う話です。軍歌を純粋な「音楽ジャンル」の一つとして親しんできた私ですが、さすがに誰も違和感を持たないのか、と怖くなりました。

と言えば

「美しい日本」が好き、というメンタリティーは、「この美しい日本を汚すやつは許せない」に転化しかねない。常にというわけではありませんが、その危うさには十分注意すべきです。「反日」「売国奴」という呪文は、それを唱える人にとって洗剤みたいなもので、「汚れ」を排除し、漂白したいという欲求をはらんでいるように思えます。戦時中の修身教科書「ヨイコドモ」には、「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ 神ノ国」とうたわれています。「神の国」は清くなければならないわけですね。いま、当時と同様、国家の神聖化と異物の排除が同時進行していないか。「美」は称賛されるべきものかもしれませんが、「理詰め」の議論が、「美」という観点からは毛嫌いされることも多い。それが回り回って暴力を引き寄せた歴史は世界にいくつもある。政治の世界に「美」が持ち込まれると、ロクなことにならない。私はそう思います。

と戦時のプロパガンダに詳しい編集者の早川タダノリさん。

(続き)マイナス金利で日銀ばかり注目されるが、これで得をするのは政治家。マイナス金利で借金できるのは国だけ。国債のマイナス利回りは国民が国の債務不履行を認めるに等しい。