富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

野坂昭如氏逝去

fookpaktsuen2015-12-10

農暦十月晦日。晴。気温も少し緩くなる。一昨日の日剩に綴った世界で一番難しいSudokuがふと「あ、ここから」と思つて数字入れ始めたら、やっと解決。数年来の頭痛が治つた感じ。もう一生Sudokuやらなくていゝかも。せっかくなのでDaily Mail紙のオリジナル記事でも数字見えて記念に残す。
野坂昭如氏逝去で享年八十五が戦争と焼け跡への執着も自分にとって野坂昭如は「ソ、ソ、ソクラテスプラトンか」新潟3区での反角栄の立候補も小説より先でアトになってから何編か小説を読むことになるが矢張りあの「ソ、ソ、ソクラテスか」も川端先生には叱られたそうで当時はまだ文壇の権威があった時代「反角」も今となっては或る面「戦後日本の懐の深さ」か角栄と昭如はいずれも温情ある世界。そうだ、そんなことより直木賞受賞の小説家だと思えば自分は小説はほとんど読まないが氏の『火垂るの墓』だけは泣いたんだった。戦後の日本を振り返り「すべて砂上の楼閣」と言ひ放ち一夜にして出来た民主主義は一夜にして一夜にして崩壊することに警笛。永さんのラジオ番組への今月7日の野坂昭如氏の手紙。

はや、師走である。町は、クリスマスのイルミネーションに、さぞ華やかに賑(にぎ)やかなことだろう。ぼくは、そんな華やかさとは無縁。風邪やら何やら、ややこしいのが流行(はや)っている。ウィルスに冒されぬよう、ひたすら閉じこもっている。賑わうのは結構なこと。そんな世間の様子とは裏腹に、ぼくは、日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない。
明日は12月8日である。昭和16(1941)年のこの日、日本が真珠湾を攻撃した。8日の朝、米英と戦う宣戦布告の詔勅が出された。戦争が始まった日である。ハワイを攻撃することで、当時、日本の行き詰まりを打破せんとした結果、戦争に突っ走った。当面の安穏な生活が保障されるならばと身を合わせているうちに、近頃、かなり物騒な世の中となってきた。戦後の日本は平和国家だというが、たった1日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じく、たった1日で、その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない。気付いた時、二者択一など言ってられない。明日にでも、たったひとつの選択しか許されない世の中になってしまうのではないか。
昭和16年の12月8日を知る人がごくわずかになった今、また、ヒョイとあの時代に戻ってしまいそうな気がしてならない。

「病床からこんな危機感を伝えなければならなかった今の日本とは何なのだろうかと思う」と横尾忠則氏。