富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2015-12-08

農暦十月二十七日。少しだけ寒い日が続く。散髪。
北京市政府が深刻な大気汚染。初めて赤色警報(最高)発令。PM2.5は250μgださう。日本人学校も休校。これでは燕京どころか霾京なり。これについて陶傑はんが書いてゐる「人定勝天」 こちら北京五輪や国際首脳会議など「これぞ」といふ日には雲ひとつなき青空。それが済めば、また深刻な大気汚染。これを毛澤東が人民服を着て民族性語つてみせるのも3分が限度、毛語録の「一個人做點好事並不難,難的是一輩子做好事,不做壞事」を引き大気汚染も年に数日、晴天演出以外は不可なのか、と。

閱兵、放衛星、射火箭、辦奧運,都是「盛事」型的非正常動作。平時沒有「盛事」,人人都不動。中國人有幾樣事不會做得好:一樣是管理酒店,另一樣是經營郵輪。這兩大事業,天天接客,日日都如同在前線打仗,所以除非不經營,一旦經營,天天都是「盛事」,而不是只有「領導人」來巡視時才是盛事。但是在中國人的生活裏,「盛事」一旦恆常舉行,人人都吃不消。
日本的鄉鎭有許多傳統的手工業:茶道、製豆腐、做塌塌米的草蓆、磨鏡子。許多是祖傳十三四代,子孫守着一坊小店做下去。日本人將每一個細節,都當做「盛事」來經營,家居天天潔淨衛生,過年不過年無所謂,日本人不過農曆新年,我想,或因為沒有「大掃除」的壓力。
當中國人在埋怨北京「霧霾」的時候,似乎忘記了主辦奧運或閱兵時用科技和飛機打造晴天「人定勝天」的自豪。「人定勝天」可不可以勝足一年三百六十五天呢?不可以,因為成本太貴,如果人勝不了天,可不可以不要跟天鬥爭,天空潔淨,你也有一口空氣?

と。すわ大事となれば都市や家をきれいにする中国人に対して日ごろから美観に気遣ひ掃除怠らぬ日本人、だから日本人が農暦新年祝はぬのは大掃除しなければならぬプレッシャーがないからでは?と(日本でも新暦で暮れの大掃除はあるのだが……)。
山田登世子著「フランスかぶれの誕生」の書評でどこかに書かれてゐたがフランスかぶれの一人に荷風もあり散人が〈フランス〉を体験することで、官能の喜び、近代人の憂ひ、そして都市を一人歩く孤独の楽しみを知り、そこから新しい文体を作つた、と。この「新しい文体」の文体は価値観でも生活でもいゝのだらうが今でもアタシたちが好事家気取りで、都市の生活はこの延長にあるわけで。歓楽と孤独。たゞそれも再開発され整備された都市空間では今では悪所などにそれを見るばかりで、そこに嗅覚のよい好事家たちが、久が原のT君の言葉を借りれば國義然り睦郎然り、日本古典とヨーロッパ文化への傾斜、その幅と深さもちあわせた輩ゆゑに集まるのでせう。
▼畏友Scud監督が仕事のベースを東京に移す。これについて監督とは仲良しのWilliam訒達智兄が「日本は香港人にとって旅行先として人気だが生活と仕事は違う」と指摘してゐる(こちら)。

作為旅客,日本真是行旅至佳目的地:地方乾淨井井有條、風景優美氣候怡人、交通方便無遠弗屆、四時美食讚不絕口、彬彬有禮猶如君子國。君子之交淡如水,短期招呼猶自可,留下來,埋身共事會否另一回事?
曾久居日本的朋友說:日本人對朋友並不如一般人印象的疏離,大多友誼久遠,那是一對一、面對面的交往。然而面對日本社會,避不過一道非本國人難以明瞭的人際交往體系,縱是日本人也會搖頭說不清楚。

御意……だが迂生恥ずかしながら文中の「洛陽紙貴」の成語わからず、これは調べてわかつた次第。