富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2015-12-06

農暦十月二十五日。気温は摂氏15度だかで寒い。ジムのトレッドミルで走る。午後遅くFCCに独酌。FT週末版の頁捲りながらBloody Mary飲む。この季節、氷抜きでいゝ。SancerreのDomaine Vacheron Blanc 2013年携へ上環の老香港飯店へ。炮台山から此処の南豐大厦地下に移転。澳門ラソンに合はせK氏来港でY嬢らと五人で会食。大閘蟹。我ながらきれいにいたゞく。他の料理も水準高く原節子似の給仕長の客あしらひが見事。
▼日曜の新聞の読書欄は毎日新聞が一番面白く思ふ。アントニー・ベスト著『大英帝国親日派』(中公叢書)を加藤陽子の評で読んだつもり。かの吉田茂を「この哀れな小男がいうことには意味がない」と断言してしまふ英国外務省。1937年に英国植民地としての上海が日中の戦ひで陥落することへの憤怒が背景にあつたにせよ駐英大使への、この辛辣なコメント。チャーチルら時の英国エリートは日本を「強国ではなく自らの限界に自覚的」な国家と思ひこんでゐたが、この通念が日本の軍事能力と開戦意思を過小評価させた、と。さらに英国は同盟国であつた日本に妥協して日本の中立性を確保するのではなく米国の軍事力による日本の抑制を選び、その背景にあつたのは日英の〈中国〉の違ひだとする。日本は英米列強に倣ひ中国を植民地的に占領と経営を考へてゐたが当時の英国はすでに貿易、金融の「市場としての統一された中国」の出現を望んでをり英国のその変貌を日本は理解できず「理想で外交を律する余裕」に欠けてゐた、と。これを読み、ふと思つたのは中共の承認について英国が建国翌年の1950年と、なぜに早かつたのか、といふこと。共産主義であらうが統一された中国の出現で植民地香港から、これを期待する英国……である。
▼巴里テロ騒動直後のブリュッセルでモロッコ系タクシー運転手曰く「テロリストが潜伏している可能性があるのなら欧米はなぜブリュッセルやパリを空爆しないんだ?」(朝日新聞記事「多様な欧州 憎悪が分断」より)。内山節先生曰く「遠くにあると感じられるから無関心が増え、うまく人気をつかんだ人たちが選挙では当選してくる。人気を得るためには〈敵〉をつくり、その〈敵〉と戦っている自分を演出してくるのも現在のやり方だ。孤軍奮闘して頑張っているという印象を与えられれば、その内容が吟味されることもなく一定の支持を獲得できる。それもまた政治の遠さを巧みに利用したやり方だ」と。ブッシュも晋三もフランスとて同じこと。
▼「政治的中立性とは自民党のやることに意義を唱えないこと」と朝日新聞への読者投稿。

大英帝国の親日派 (中公叢書)

大英帝国の親日派 (中公叢書)