富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2015-10-13

農暦九月初一。一昨晩より喉痛み気温が摂氏20度下回れば、すぐこれなのが我ながらわかりやすい。身体の節々痛み悪寒で検温すると36.5度である。幼子なら平熱も、これで具合悪いのだからつくづく寄る年波感じ入るばかり。夕方帰りがけにC医師の診療所。季節到来でせう?と言つて叱られる。寝酒にジンのデュボネ割り。エリザベス二世女王陛下と余の眠り薬は一緒。これでグラスも同じだと光栄なのだが。
▼朝日の日曜(18日)読書欄で出久根達郎氏が1964年の東京五輪について当時、東京の下町の古書店員だつた時のことを書かれてゐる。前夜までの大雨、当日の青空、開会式のときは商店街から人の姿なくテレビとラジオの中継の声だけがあちこちから聞こえてくるなか店主が昼で店を閉めようと提案したといふ。この日に出久根氏はある催事に行くつもりで夕方以降休みとつてゐたのだが催事中止となり仕方なく日本橋三越三越名人会を聞くことに。当日のプログラムが談志(三方一両損)に始まり柳橋(笠碁)、円生(阿武松)、小さん(時そば)、文楽(つる/\)、正蔵(山崎屋)に志ん生(富九)って戦後最高でせう、これほどずらり、は。誰だかが「オリンピックなど見向きもせず、ここに来られた皆さまがたは多分スポーツのルールなどご存知ない人たちなのだろう、と楽屋で噂していたのでありますが、ルールどころか世の中の動きについていけないお人のようでして……」とマクラを振って客席を沸かせたといふ。昭和39年が浦山しい。
▼1982年の男女雇用機会均等法について赤松良子女史(当時、労働省婦人少年局長、その後、文部相)の回顧談(朝日、12日)興味深い。法制化に向け省内での難関もクリアして首相に面会叶つたが中曽根大勲位(当時は叙勲前か)に言はれた一言が「資本家の走狗になる覚悟で」だつたといふ。自分では女性労働者の味方と思つてゐるかもしれないが妥協すれば財界に有利な法律ゆゑ資本家の使ひ走りの犬だと言はれても仕方ないんだよ、といふ意味か、いずれにせよ「スゴイ言葉よね」で「脅しのつもりだったのかしら?私は励ましと思うことにしました」と。今はもう、こんな言葉に凄みある政治家もをらず。ひどい言葉のやうだが、これが「財界の走狗になる」だつたら嘲りだが「資本家の」と言ふところがさすが大勲位、けして奢らず、財界への距離と少しの偏見も含みあり。見事。