富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

雙十節。民国104年。

fookpaktsuen2015-10-10

農暦八月廿八日。雙十節。民国104年。曇り空。午後から外に用事あり。日暮れに雨が降り始め本降り。晩に北角の新和富に宴会あり末席汚す。帰りのタクシー自動車に傘忘れタクシーセンターに連絡したが見つからず。三十年前に購入の丸善の折り畳み傘。丸善ブランドの傘の製造元は前原光榮商店だつたが、もう十数年前に「丸善」の傘は出てをらず貴重な傘なくしてしまつた。
▼文相に就任の馳浩君、文科省が国立大学に出した人文社会系学部見直しの通知につき「私が国語の教員だったとしたら、あの文章は32点くらい」と指摘の由。
▼みずからを保守といふ晋三が祖父・岸信介の血を引いて革新かはよく指摘される点だが晋三の昭恵夫人が「保守」について実に真っ当なことを語つてゐる。

「私の保守は縄文だ」と冗談で言いますが、昔からのものを大事にするなら、生活を守ることが大事。例えば、原発はいらない、補助金もいらない。漁業、農業を一生懸命やる、ということも保守だと思います。昔のものを守る、ということが保守だと私は思っています。

その通り。戦後の決まりごとや憲法など昔からのものを大切にせず農業や生活を守らぬ晋三、それとだうして夫婦円満なのか、が不思議。その晋三は「一億総活躍社会なんて本当にできるのかという声も耳にする……やらなければならない」と相変はらず言葉で論理的に全く説明できず。これに国政預けるのだから国民が間抜け。また、安保法制「違憲」につき戦犯とされる船田元先生、その同党の改憲推進本部長後任と目される古屋圭司(元国家公安委員長)曰く「本音は9条が大本命だが、そこを言わずにスタートしたい」って、もう言ってるんだから大したもの。李怡先生がジョン=ロックの格言で「個人は法律で禁止されてゐることを除きなんでもできる、政府は法律で許可されていることを除き何もできない」といふのを挙げてゐたが、つまり日本の政治家は晋三から古谷某まで、思考力はジョン=ロック以前といふこと。