富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2015-10-09

農暦八月廿七日。夏がむし返すやうな暑さ。深圳へ。用事済ませ中興路の町場で按摩。路地の街市。その奥に迷路のやうな旧市街地。東門の繁華街の近くにまだこんな特区開発以前からの集落(湖容社区)が残つてゐようとは。国貿まで歩き日本人相手の飲食店、飲み屋集まる南湖路。鰻の蒲焼供す酒田といふ食肆で華中から異動で戻つてこられた銀行Y氏と二年余ぶりに再会で飲む。日本人相手のカラオケ多い場所だがカラオケ上がりの聡明なる女性営むウイスキーバーに誘なわれ響17年を振舞はれる。晩10時半すぎるとそろそろ「香港戻り時間」で羅湖から23時すぎの東鉄で一睡の内に紅磡。隧道バスもまだ頻繁に走り帰宅に難なし。今日もまた深圳が一段と近代化してゐるのに驚き。
▼都新聞大波小波(雑神)介しての孫引きだが井上章一氏の「明治維新以前の保守思想」の立場からの指摘として伝統的な怨霊信仰では勝者が敗者の魂しずめ行ひ怨霊の遺恨が後世に厄難及ばさぬやうに努め、天神様然り後醍醐帝しかり敗者を神として奉つたもの。それが徳川以降に逆転し勝者が神となり(東照宮然り)明治以降の日本では更に敵は打ち捨てられ味方だけが神となる(靖国然り)。これが近代の傾向。君が代も日の丸も東京が首都になつた後の新現象にすぎず、と。
▼香港の雨傘騒動から1年、日本の報道で香港社会の「亀裂」説く主張目立つ。今日の東京新聞は社説で
「香港占拠1年」強権政治反対の声を(こちら)。不思議なのだが日本で安保法制、欧州の難民、台湾やタイ、シンガポールなど国論でそれぞれ何らかの主張の相違あるのは当然、それをあまり社会の亀裂だとか後遺症とか言はんでもいゝのではないかしら。香港返還決定の当時(中英合意)から香港はさうした無情の格好の取材対象らしい。