富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2015-08-16

農暦七月初三。香港に戻つてしまつたのだから致し方ないが東京で見逃したものは麻布に宿してゐたのに森美術館でのディンQレ展、水戸に戻つたのに笠間日動の鴨居玲の二つ。残念でした。1997年の香港返還のころ在港されたI氏とF嬢がそれぞれ配偶者と来港、炮台山のホテルで待合せ飲茶。四方山話。当時の人間図鑑は面白いことばかり。午後、官邸で書類整理。燈刻に佐敦、識る酒場で啤酒一杯とウヰスキー飲んだらバーテンダーに口開けだからウヰスキーは奢りでいゝよ、と言はれる。家人と北京水餃店。こゝの亭主は二十年近く店を任せて遊ばず、ちゃんと出て自分でも餃子捏ねてゐるからご立派。尖東。あれほど鳩まつてゐた大陸客の旅行者少なく薬局等閑古鳥啼いてゐる。香港コロシアム。昨晩のAsian Youth Orchestraが設立25周年記念今晩は此処で祝賀のGalaのコンサート。大賑はひ。紐育時報の記事“For Asian Youth Orchestra, Mission Is More Than Just Music”(こちら)。お楽しみ、で演奏の企画盛り澤山。イサリス師のチェロは何だか怪しい現代曲で録音済みのシンセサイザーに合はせて、で面白みに欠ける。歌手のアラン譚詠麟もゲスト出演で2曲歌ふが、そも/\私は知らない曲。今年のAYOのオケに加へOB編成、それに更に若い10歳からの若者オケも出演。最後は総勢300人!で貝多芬「第九」の第4楽章。どうせならイサリス師が若者オケに混じり一団員として末席でチェロを弾くとか、アラン=タムも合唱団の一員で第九歌ふとかさせれば更に面白かつたのに。演奏はいきなり最初の合奏部分を飛ばしバリトン独唱"O Freunde”から始まり恙無く"Freude, schöner Götterfunken”のAllegro assaiに入つたまでは良かつたが、それでなくても普段は第九すら聴いたこともない恐らく出演者の親戚縁者一族郎等らにとつては「喜びの歌」の主題合唱あつたが為に“vor Gott, vor Gott.”と高らか歓喜で「これでお終ひ」と客席から大きな拍手がっ……この珍事に指揮者フリーズしたまゝ客席の拍手鳴り止むを待つて(笑)8分の6拍子でテノール独唱"Froh, wie seine Sonnen”の通称「土耳古行進曲」に入り最後まで辿りつく。いやはやなんとも楽章毎の拍手には慣れてゐるが曲中のこの拍手は私も初体験の珍事。それにしても、こんな若い音楽家育成の事業が四半世紀続いたこと、それが香港で、はご立派。
東京新聞に大衆芸能研究の、かの佐藤利明氏の戦前からの芸能歌謡史の連載あり興味深い。1930年の「洒落男」で二村定一の話があり(第7回)。また今度はビールのCMソングで人気ださうで、ふと定一っちゃんなので「僕は村中で一番 ホモだと言われた男」といふ替へ歌浮かんだが、こんなベタなアイデアはとっくに誰か拵へてゐると思つたら検索でも引っかゝらないので、さっと作つて見る。原曲の歌詞が歌詞なのであまり捻つて面白くもできず。この曲はゲイ=キャバレロ、そのものである。

僕は田舎で一番 ホモだと言われた男
己惚れのぼせて得意顔 東京は新宿へ来た

そもそもその時のスタイル 日焼けに白いタンクトップ
ニットの帽子に耳ピアス タイトな青いパンツ

僕の見染めた彼氏 黒い瞳でショートヘア
背が高くて肉体美 おまけに足までが長い

馴れ染めの始めはゲイバー この店は私の家よ
焼酎、桂花陳酒どちらにしましょう 遠慮するなんて水臭いわ

言われるままに二、三杯 笑顔につられてもう一杯
彼氏はほんのり桜色 アララ……しめたわもう一杯

キミは知っているかしら僕の 親父は自民党で県議
議員は金持ちでせがれの僕は 独身で当然一人

アラマアそれは素敵 名誉とお金があるなら
たとえ俺がノンケでも 同性のキミが好きよ

おおいとしのものよ 僕の体はふるえる
キミとならばどこまでも 死んでも離れはせぬ

夢かうつつかそのとき 飛び込んだ彼の彼氏
ものもいわずにオカマの涙 蹴られて僕は気絶

携帯も指輪もとられ 大事な彼はいない
恐いところは新宿二丁目 泣くに泣かれぬホモ

▼ホイ三兄弟の喜劇映画の主題歌、サミエル=ホイの名風刺曲「半斤八両」借用で「いかにシンガポールが素晴らしい国か」といふPRソング……一党独裁専制国家「明るい北朝鮮シンガポールに対するなんて巧妙な皮肉、これは素晴らしいパロディソング!と思つたら、なんとこれがマジにシンガポール政府の官方facebookで発表された政府公認の国家PRソングだとは……呆れて言葉もなし。あの国が勝手に自画自賛はどうでもいゝが、まさか下級労働者の生活をば嘆き風刺した、あの「半斤八両」用ゐて、民草らにシンガポールの良さ語るとは何たる皮肉。それを解つてやつてゐたとしたら権力のあまりに21世紀的な市民侮辱であるし、わからずやってゐたらシンガポールGDPいかに高くならうとも所詮やはりアタマは育つてゐない、或いは洗脳教育でバカになつてしまつた、と思はざるを得ず、せめて製作者や歌手が裡の裡をかき政府に対する皮肉で、この制作に応じて国内外で嗤はれること願つた、とでも願ひたいところ。