富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

戰後と云ふ、この長い期間に於る國民の尊い歩み

fookpaktsuen2015-08-15

農暦七月初二。未明から雷雨で朝は赤色警報。日記纏め乍らNHKで特攻と従軍看護婦の番組見るうちに日本は正午近くで全国戦没者追悼式の中継眺める。聖上の言葉、ご自身によつて直前まで練り上げられたといふ(そこが民草晋三とは違ふ)文言*1は注目すべきは「平和の存続を切望する国民の意識に支へられ」今日の平和と繁栄を築いてきたことと「さきの大戦に対する深い反省」と言及。追悼式のお言葉で「反省」が使はれたのは初めて。戦没者遺族には戦争に対する様々な受け止め方あり追悼式ではその「評価」に繋がる言葉は避けられてきた……といふ「配慮」からすると今回の聖上のこの「反省」は一歩踏み込んだ訳で「何が天皇をさうさせたのか、」の答えは明らか。「戦後といふ、この長い期間における国民の尊い歩み」と敢へて「戦後」といふ語を用ゐ戦後の国民の努力を評価、正に「戦後レジーム」に生かされてゐるといふ認識の聖上の言葉に先立つ晋三は、といへば「自由で民主的な国」の「平和と繁栄」は戦没者の「尊い犠牲の上にのみあり得た」と言及。築地T君曰く、なぜ犠牲が必要だったか=戦争で負けて米国に占領されなければ自由も民主主義も齎されなかったからなのだが、その反省が晋三には、ない。

「平和と民主主義」についての理解度において、選挙で民主的に選ばれた国民の代表が、世襲天皇よりも劣っている。これは民主主義の敗北といわざるをえない。残念なことだが、そこから出発し直さないといけない。

とT君の指摘。それにしても戦後の日本守る陛下もお年めされさすがに段取り通り恙無く……といふわけにはいかず。毎年のことで慣れてをられるはずが来場で着席されぬまゝ「君が代」だつたのに両陛下とも着座しやうとされたときに前奏流れ立ち直し、中央に企たれ黙祷のあと言葉なのに黙祷をお忘れになり読み始めてしまひ司会が「正午の時報とともに黙祷」と割り込む。かういふ時に皇后も「陛下」と声かけもできず、天皇といふ存在の孤高さ畏れ多し。黙禱のあとのお言葉。文章の読み間違へは致し方ないが、繁栄を「はんねい」と口にされた際に「あ、」といふ声かすかに漏らされ、さすがに聖上も今年の八月一五日には焦りがおありか。言葉のあと席に戻つたときは先導の厚労大臣から「お座りください」と声をかけが聖上と皇后の齢考へれば侍従長なりお付き添へしてもいゝのでは。日経(夕刊)は論説委員長名で「過去を変えるのは未来だ」なんて宣つてゐるが

過去は未来によって変わる。戦後70年ここでそのきっかけをつかめないものか。戦後という時代に終止符を打つために。

と言はれても「戦後」の次に来るものが晋三的なる「戦後の超克」であるのなら、そんなものまっぴら御免、寧ろこの「戦後」が永劫続くほうがずっとマシ。香港はこの間ずつと雷雨。納戸整理して明日からの救世軍の不用品回収に合はせ使はぬ鞄や旅行用品等整理。早晩にFCCで独飲。遅れて家人来て軽く夕餉済ませ市大会堂。毎夏恒例でAsian Youth Orchestraの音楽会。今年で25年のうち15年以上毎年欠かさずだが会場が文化中心から市大会堂に変更は私には初めて。今晩はBプロでJames Judd指揮で初っ端はバッハ「トッカータとフーガニ短調」のストコフスキー編曲版。続いてSteven Isserlis師!登場でショスタコーヴィチのチェロ協奏曲1番。1959年の実にソヴィエトらしい社会主義モダニズムの曲で1楽章終はつて拍手してしまふ観衆(香港からも今年も十数名このオケに加はつてをり中学の同級生や親戚縁者等ふだんクラシック音楽聴かぬ輩少なからず)の稚拙さはまだ許容だが、あの叙情的な2楽章の後も3楽章から最終楽章のチェロの大切なソロに入るところでも拍手起き呆れて言葉もなし。感性乏しいより空気でわからないものか。ホルンとクラリネットの青年の演奏が見事、イサリス師も演奏後の舞台上で絶賛のゼスチャーは納得。それにしてもイサリスの社会主義モダニズム超える21世紀的な解釈によるショスタコ。初演はムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルでロストロポーヴィチ独奏。今年のこのオケは例年に比べかなり秀逸。この難局を10代後半から20代前半の若者たちがこゝまで解釈して(わずか3週間のリハで)まとめ上げるとは……解釈も含め立派。毎年ゐるのだが、この音楽会を夏の「こどものためのコンサート」と勘違ひで幼子連れてくる客あり入場制限は満6歳なのだが会場側も放題で幼子が煩いのは難、アタシの背後の母子は前半終はり気兼ねして退場したが。中入り後はマーラーの(私は1楽章が苦手な)4番。ソプラノは坂井田真実子。さすがに4楽章の入りを除き、まだ楽章間の拍手が続く。これも若者にはかなり窮屈な曲だと思ふのだが、ほぼ無難に演奏するとは。この曲でもホルンとクラリネットの若者は秀逸で香港フィルよかずっと立派。コンマスの少女も、この曲の演出に十分に参画。浦山しいほどの出来の音楽会。それにしてもショスタコのチェロ1でもマーラー4でも香港の観客は完ぺきに静寂に包まれるときは皆無でいつも誰か、こんな静かなソロで、と思はれるところでも咳、鼻をかむ、パンフレット落とす……と雑音ばかり。いつも賑やかな環境に慣れて小さい雑音が気にならない進化遂げてゐるのかしら、とすら思へる。今日の演奏会、パトロン等多いはずがアタシが中央通路席(Q列)真ん中の切符入手。だうしたのか?と思つたらパトロンやVIPは最前列に、といふ按排。

▼信報社説「安倍演說道歉誠意太少卸責太多」曰く
關鍵字眼雖在,道歉、反省等語詞猶存,卻沒有多少真心的歉意,倒滲有不少開脫及擱下責任的味道,甚至還隱含一種反守為攻,東山再起,在亞太區以至全球擔當重要角色的雄心。把原意是悔罪的懺文變成重振日本國際地位的號角聲,安倍晉三果真機關算盡。
と、また評価下げただけ。わかりやすい晋三。

*1:「戰沒者を追悼し平和を祈念する日」に當たり、全國戰沒者追悼式に臨み、さきの大戰に於て、かけがえのない命を失つた數多くの人々とその遺族を思ひ、深い悲しみを新たにゐたします。終戰以來既に70年、戰爭による荒廢からの復興、發展に向け拂はれた國民のたゆみない努力と、平和の存續を切望する國民の意識に支へられ、我が國は今日の平和と繁榮を築いてきました。戰後と云ふ、この長い期間に於る國民の尊い歩みに思ひを致すとき、感慨は誠に盡きることがありません。こゝに過去を顧み、さきの大戰に對する深い反省と共に、今後、戰爭の慘禍が再び繰り返されぬことを切に願ひ、全國民と共に、戰陣に散り戰禍に倒れた人々に對し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が國の一層の發展を祈ります。