農暦七月初一。午後遅くから雨模様。午後遅く中環。Rolexで腕時計修理受け取る。記録見てもらふと前回のoverhaulは十年前。新品のやうに磨かれる。The LandmarkのThe Armouryに一ヶ月前だかに注文した傘届き受領。 前から欲しかつた黄色い傘。店頭にも一本あつたが柄の意匠がシツコイのでお誂へ。黄色い傘といへば香港では政治的だが倫敦Fox傘商店謹製とはアタシもかなり危篤。FCCで早酒。晋三の談話を聞く。太古城の韓国料理屋で家人と夕餉。
▼晋三の談話。まるで他人事。空疎に言葉浮く。昨日の晋三の動静*1見れば山口で盆参りに忙しく(晩に釜山と海隔てた山口の韓国料理屋で食事は昭恵夫人の知恵か)、それで翌日に控へた談話の最後の詰めができるかしら、だから霞ヶ関作文かと疑はれる。内容は村山に対する談話「何らかの形で」残したいだけ。トンちゃん曰く「さっぱりわからん」その通りで、あれもこれもとテンコ盛り。饒舌ながら植民地支配や朝鮮・台湾での人権蹂躙など詫びもせず、あれ程嫌ふ戦後レジームのはずが戦後の「平和国家としての歩み」に誇らしげ、その魂胆は曖昧なうちに旧体制の半思。出さない方がマシ。この「意味のない」談話で気になるフレーズが二つ。一つは
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
って未来永劫に謝罪は宿命に非ず(中曽根大勲位は三百年と言ひ放つたが)独逸のやうにきちんと覚悟決めれば難しくなく村山談話の継承で済むこと。それを晋三如きに「宿命」と言はれることが不愉快。「宿命」と聞くと清張の「砂の器」だが「わっ、わしゃ知らん!」は千代吉(映画では加藤嘉)の口からなら許せるが晋三には許すまじ。もう一つは
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。
といふフレーズで明らかに中国意識した新自由主義への信奉で歴史談話にTPPまで盛り込むとは。明らかに霞ヶ関の綴り方。この晋三の発想を紐育時報の記事“Shinzo Abe’s Bid to Redefine Japan and Its Military Has Echoes of Family History”がよくまとめてゐる(こちら)。さまざまな言及のなかで池内紀の朝日新聞への寄稿秀逸(こちら)。晋三について、70周年談話については一言も述べぬが
カントによると、隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって「自然な状態」ではないのである。むしろ、いつもひそかな「敵意」のわだかまっている状態こそ自然な状態であって、だからこそ政治家は平和を根づかせるために、あらゆる努力をつづけなくてはならない。そのような平和を根づかせるには、ひとかたならぬ忍耐と知恵が必要だが、敵意のわだかまる「自然な状態」を煽り立てるのは、ごくたやすい。カントによると、その手の政治家はつねに「自分の信念」を言い立て、「迅速な決断」を誇りつつ、考えていることはひとえに、現在の世界を「支配している権力」に寄りそい、ひいては「自分の利益」を守ることだという。
と明らかに現政権意識した指摘。他に「創価学会に渦巻く「安保法案NO」公明は苦心」といふ朝日の記事(こちら)とリテラ(こちら)も興味深い。池田先生がお元気だつたら。奥平イラさんがまとめた手塚プロダクションの「手塚治虫と戦争」(こちら)。
▼1976年に金田中の板前として来港、その後、尖沙咀で「西村」経営された西村弘美氏ご逝去。享年七十一。闘病のあと回復してもまさかカウンターに立たれるとは思つてもみず、ただ/\敬服したもの。本当に優しい方。哀悼。