富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

御厠

fookpaktsuen2015-08-01

農暦六月十七日。快晴。周末だが官邸で書類整理。湾仔の皇后飯店、上環で正隆行、林奇苑茶行で帰邦に手土産購ふ。途中、FCCウヰスキーソーダ二杯。土曜午後遅く閑か。唯靈先生は「以個人口味而論,「威梳加冰」是最為理想的佐膳之酒」と書いてをられるが空腹でも少し濃いめは美味い。帰宅して冷蔵庫の整理でトマトのパスタ。先週末に澳門のソフィテルでいたゞいた赤葡萄酒 M.Chapoutier Côtes du Rhône Belleruche 2013年飲む。NHKスペシャル日航ジャンボ機事故 空白の16時間」は墜落の夜30年目の真実とまで謳ふが少しも「謎の16時間」の真相は全く明かされず。ふと思ひ出したが数日前のNHKの歴史ヒストリア、戦前の米国駐日大使ジョセフ=グルーの話、宮中に招かれ晩餐の席など先帝の人柄に触れ戦時中は米国の対日戦後政策で天皇の存在意義申し立てポツダム宣言には直接盛り込まれなかつたが日本側のポ宣言受諾に関する國體護持条件に見られるやうにグルーの見識は的中で戦後のマッカーサー政策にも大きな影響与へ、って、この時期にこの番組偶然なのかあまりに「何も知らない首相」あつての番組のやうに映る。


この附属室、聖上はすでに現場ご覧になり、この度、皇太子と秋篠宮も踏査されたといふ。終戦の八月十五日午前この附属庫で聖上隣席で枢密院会議開かれポツダム宣言受諾を了承。これはポ宣言受諾=条約締結の一種といふ考へから大日本国憲法の定める通り枢密院の了承必要といふ判断。憲法立憲主義無視で閣議決定で国の安全保障政策転換図る晋三よか当時の戦時下の方がよっぽど立憲主義。陛下はこの会議中断し会議室隣の御休所で「玉音放送」聴いた宜。この附属庫、トイレも聖上お使ひは「御厠」で大臣ら下々の者用は「便所」である。この「御厠」は三河屋でなく「おとう」と読んだはず、と久が原T君。明治宮殿ではさうでした……ってT君には大宮さんでも降臨してゐるのかしら。禅院での東司(とうす)の「御東司」が元。所謂「おまる」及び大便のことも近世宮廷語では「おとう」で同様に「おつつ」は小便なのは尿筒(しとづつ)が元。御便所とすると行幸先の御休所=便殿(びんでん)と紛らわしか。白川博士『字通』に曰く「便とは人に鞭度を加える意象の字であろうと思われる。ゆえに人を駆使する意となり、便利捷給の意となる」。同じく「便器」の解に『西京雑記』を引き「玉を以て虎子を爲り以て便器と爲す。侍中をして之れを執らしめ行幸には以て從はしむ」。元は「簡便」の「便」意から容器の用途を暗示したものが、後に内容物の呼称に転じたもの、容器としての「おとう・おつつ」が大小便そのものの呼称に転じたのと同様……とT君に教はる。御厠も便所も水洗のやうだが当時、御文庫からもこれだけ離れた地下壕で汚水処理だうしてゐたのか、と下々気になるところ。