富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

HMS Tamar

fookpaktsuen2015-05-21

農暦四月初四。早晩にかなり久々にFCCで独飲。晩六時で一旦お会計と言はれ何かと思へば楼上でFCCの会員年次総会開催の由。一度も出たことなし。路線バスで西營盤。湖南料理の書湘門弟で食事会。少し早く着いたので、この食肆の並びにある今では稀になつた地元系超級市場の通泰を覗く。地元遺産である。第二街まで坂を少し登り地下鉄で帰宅といふのも未だ慣れずヘンな感じ。
▼将来的には香港から北京を結ぶ高速鉄道、すでに深圳北までの工事終はつてゐるが工期延び工費天井知らずの香港セクション、開通で問題となるのは乗客の通関。深圳までは国内線で香港に来る乗客だけ、何処で、だうやつて中共側の出境済ませるか、そして即、今度は香港側の入境となる。逆もまた面倒。そこで浮上が香港側の站(九龍)に中共の入出境管理当局職員が常駐で中共と香港の入出境同時に済ませるといふ案。中共に香港のそれ預けることに政治的リスク多し。
▼香港でTamarといふ地名が認知得たのは1997年の香港返還。金鐘の英国海軍の港がTamarといふ名だつたが巷民には関係ない場所だつたが香港返還前に此処の埋立て進み(英国が海軍施設をば中共に渡したくなかつた?)英国側の1997年6月30日の返還式典がTamar広場で開催されTamarといふ名が広まり其処に香港政府の新総部ビル建てられ将来的には地下鉄通るとTamarといふ站名になるといふ。ではそもそもTamarとは何かといふと英国の海軍艦船HMS Tamarの名を冠くもの。HMS Tamarは1863年に英国で建造され七つの海支配する英国海軍の象徴的艦船の一つで長さ98m、幅14m、4,650頓といふ董事では最大級。香港には1878年と1897年の二度寄港。英国国防の第一線からは退き第二次世界大戦始まるまで香港に寄留してゐたが日本軍の香港侵攻で英国軍降参の際に日本軍にこの艦船渡さぬと湾仔沖で爆破されヴィクトリア湾の藻屑となる……はずが浅いハーバーのため船舶航海の安全上浅瀬と同じで注意必要で海に沈んだ残骸は海図に示されてゐたといふ。それが湾仔の埋立てでHMS Tamarの沈没地点は陸地に近くなり1960年代から海図からも消えてゐたといふ。それが今回、海底調査で半世紀ぶりにHMS Tamarの残骸見つかる。歴史的には貴重だが調査や引き上げとなると沿岸のハイウェイバイパス海底隧道部分や地下鉄の沙中線の工期遅延の影響ありやなしや。