富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2015-05-04

農暦三月十六日。夕方散髪して帰宅。そら豆の殻入れにチラシで折った箱が京劇(覇王別姫)で見事すぎて勿体なくて使へない。
▼世論で「憲法は現在のままでよい」が「改正すべき」上回ったことについて「2年前には改憲賛成が56%を占めていたことを考えれば、大きな変化である。安倍首相が改憲を訴えれば訴えるほど、そこに危うさを感じる人がいるのだろう。集団的自衛権を巡る憲法解釈を昨年、変更したことも影響していよう。安倍政権が本気で改憲を目指すならば、世論がなぜ大きく揺れるのか、その理由を考える必要がある。なぜいま改憲が必要なのか、現憲法のどこに不備があるのか。その説明が足りていない」と日経の社説。「改憲して戦争に参加できるようにって、どうして学習能力がこんなにもないのか」と美輪明宏、そんな政治家を選んだのは国民で「無辜の民衆が戦争に駆り出されるのはない。選挙民に重い責任があるのです」と。昨日の改憲派の集会で「日本は国際社会の土俵で押されて土俵際。改憲を考え、世界の中で勇者といわれる国になってほしい」と舞の海。なんでも相撲に喩へればいゝのか。「日本は安倍晋三に押されて土俵際。うっちゃりで躱してほしい」よ。護憲派の集会では大江健三郎先生が晋三を「安倍」と何度も呼びつけた由。一国の首相たる晋三を安倍と呼びつけるとは。築地H君曰く、昭和一桁の戦後民主主義者は前向きなことを言つていても「根底的なところでは人民を信じていない」のではないか、と。あの世代の戦争体験は「人民や民衆の意志など権力によつて容易に左右されうるもの」であり、だからこそ「それを縛り、律する制度」が重要なのだといふ考え。樋口陽一先生が何故に敢へて自らが「国家主義者」なのか、はこれ。民主主義を自明のものとする戦後世代とは違ふ。昭和一桁がまだ元気なうちに憲法改正国民投票で晋三改憲の否決を急いだほうがいゝか。
中共で英国との香港返還交渉に重要な役割果たした魯平先生逝去。享年八十八。父親がハーバードに学んだ教育心理学者で魯平自身も上海のかの聖約翰大学(St. John’s Univ.)出身。英語に冴へ中共成立後は宋美齢に仕へ海外に中共宣伝するプロパガンダ誌の編集に当たる。何といつても白眉は中英交渉で返還前の香港で民主化進めるパッテン総督をば「千古罪人」と罵つたこと。そのパッテン卿は “I am sorry that Communist party policy made it impossible for me to have a closer and better relationship with him”と故人忍ぶコメント(FT紙、こちら)。