富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2014-12-01

農暦十月初十。未明に雨止む。朝六時半に京成上野からスカイライナーで成田空港。搭乗ゲートのテレビでCNNが香港から生中継で雨傘六十五日、金鐘龍和道で未明からの学生らと警察の衝突の模様流してゐる。学生のほうが警察をばけしかけるやうな行動とり、それに応じる警察側も棍棒での強打、辛子スプレーに催涙ガスの無茶な散布は慌てふためき抑制きかぬように映る。また学生らが攻撃的になつたことで鬱憤晴らすやうに「学生の暴力に対して治安が」と警察宣ふが、してゐることといへばマッチポンプのやうに疑惑的(こちら)。警察が現場制御すると後退させられた学生らは金鐘と政府総部結ぶ歩道橋塞ぎ公務員の出勤をば妨げるなど「奇抜な作戦」のやうだが已に誰彼の統率もなく一部の急進的な示威者は丸腰の私服警官見つければ殴打など運動も混乱。政府総部の無理な包囲行動で突撃のため棍棒とベニヤ板の盾では非暴力抵抗とは言ひ難し。悪天候でフライトはかなり揺れるがこゝ数日の疲れで睡魔に襲はれ新聞一紙も読み終はらず。香港に着き携帯をonにすると菅原文太大兄亡くなつた模様と築地H君より。

「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けていることだろうと思います。

と妻の文子さんの弁。碁の呉清源大人も逝去、享年一百の数奇なる人生。空港の到着客ラウンジ←初めて、でメールや手帳の整理。静かでシックな環境が気に入つた。空港から銅鑼湾で散髪に直行。帰宅。参鶏湯。お茶請けに築地H君にいたゞいた熊谷名物の五家寳。あれ、これって細めの吉原殿中?と思つたら水戸から製法が熊谷に伝はつたといふ説もあり。羽仁未央『香港は路の上』(徳間文庫)再読。

ここの人は生きることに真面目だ。その真面目っていうのは、緊張のあまり右手と右足が一緒に出ちゃうような、そんなんじゃなく、そんな不自然で長つづきしないようなんじゃなくて、細胞が、正しく生まれかわる速度、どうすると心地いいかわかってて、だからそうする、と見てるほうもその心地良さそうさに心地良くなる、てな事。ここの人は、狭いとこに沢山住んでるし、だから暮らすのがうまい、地下鉄や電車(トラム)でも無意味に押しあったりしないし、あの狭い道をすごい速さで歩くのに、うまくすり抜ける、みんな上手に無視してなんとか心地よく暮らそうとしてる。(略)ちょっと絶望的に、この街の、道の角や、上から落ちてくるエアコンの水にまで、恋をして、だから、この街は今日も(日本へ)帰らない女の子を(実は男も)、つくる。

▼一昨日の台湾統一主張戦は台北で無所属リベラルの医師、柯文哲氏当選で連戦の息子連某落選。民主党は基盤の南部は勿論、台中など大勝で国民党は新竹のみ。「公民運動」の勝利。日本でも市川房枝社会市民連合など「リベラルな市民運動」の動きあつたし東京から京阪、福岡まで革新市長誕生させる市民感覚もあつたのが何故に広範な「公民」の認識にならなかつたのか、は今更ながら台湾や香港、さらにはもしかするとインドネシアからも学ぶべきやうになるかも。台湾では馬英九総統が国民党総裁辞任の由。
▼廿九日の朝日「税に思想はあるか」諸富徹•京大教授(財政学)。

20世紀とは経済構造が大きく変化したことを認識すべきです。人口減少社会では、高度成長期のような高い国内総生産(GDP)の伸び率は見込めません。日本経済の潜在成長率を、財政や金融緩和でかさ上げできても、それは一時的です。経済構造が変わったのに、旧態依然の景気刺激策を取っている。効果が表れるにしても、四半期からせいぜい半年ぐらい。すぐに効果が切れ、現実の姿が副作用を伴って表れてくる。

民主党政権が唱へた「コンクリートから人へ」は「公共事業への投資ではもう成長しないから、人への投資に切り替え、日本経済の構造転換を促す戦略」だつたが、その大切さがわからぬ政治家。そんな政治家を選んで済ませてゐる国民の浅はかさ。結局、劣化するばかり。
北一輝研究など評論家の松本健一氏逝去。享年六十八。立ち位置と行き先が最期までアタシには良く解らず。

Fookpaktsuen twitter
富柏村サイト www.fookpaktsuen.com
Flickr