富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

泥の河

fookpaktsuen2014-11-09

農暦閏九月十七日。数日ぶりに晴れ。秋晴れ。日曜だが出先仕事。夕方、FCCで独酌でZ嬢待ち軽く夕食済ませ尖沙咀。昨晩に続き科学館で今晩は小栗康平監督の1981年の映画『泥の河』観る。ストーリー覚へてゐるのが以前に見たときの朧げな記憶なのか宮本輝の原作なのかも定かでなし。偶然だが寡作の小栗監督がブログで

朝日の「be」と言う紙面があります。四月からの「映画の旅人」と言う新企画が始まり、『泥の河』を取り上げたいと取材を受けました。四月十三日の掲載予定だそうです。2ページの分量とのことで、さてどのように書かれているものなのか。今もなお、なのか、未だに、なのか、『泥の河』なのですね。複雑です。

と書いてゐるが、作家や映画監督で第1作が秀逸といふのは珍しいことでなし。原作では「女郎船」で主人公の少年(信雄)ときっちゃんが遊びきっちゃんが蟹にランプ油で火をつけて遊び信雄は家に帰つたあとで船が燃えるシーンで終はるのだが映画では翌朝だか船が艀船に引かれ去つてゆく。見方によつては船は人の気配もなくきっちゃんの家族が陸に上がつたのでは?といふ想像の余地もなくもなし。信雄の父、川岸のバラックで食堂営む父が田村高廣、母が藤田弓子。近所のタバコ屋の婆が往年のヅカの男役の初音礼子、馬に牽かせる荷方役の芦屋雁之助、屋形船の殿山泰司蟹江敬三の巡査、そして女郎の加賀まりこ……小栗監督の自主制作映画に実に素晴らしい配役。本当にきれいで優しさ溢れる大阪弁での物語。この映画もネガ編集は南とめ刀自(1910〜2004、こちら)。この80年代日本映画特集でATG映画や印象的な作品でいつもこの方の名前がクレジットに。
▼先日この日乗で触れた徳大寺有恒さん逝去。享年七十四。徳大寺さんは東京大空襲で焼け出され茨城に疎開し同じ境遇だつたのがわが母。徳大寺さんと並んで鉄道ライターの種村直樹さんの訃報もあり。享年七十八。鉄道について語るが、鉄道の旅、東京ステーションホテルの話などアタシは子どものころに取り寄せてまで愛読。哀悼。
▼読売は「TPP交渉大きな進展」で「来はるまでの大筋合意も視野に交渉の加速を……」と。「合意を視野」でないのが物は言い様。日経ですら「TPP交渉越年、妥結時期詰められず」なのに。
▼朝日の検証「集団的自衛権内閣法制局編が面白かつたが番外(下)である長官経験者曰く「かつて自衛隊を合憲と認めた法制局は社会から「右」と見られてきた。でも社会がどんどん右傾化して、いつの間にか法制局は「左」の立ち位置になっていた」。
▼伯林の壁崩壊から四半世紀。当時、中文大学のAsian Studiesにゐた独逸人学生の一人、寡黙な彼は独逸の大学でSinologieが専門。米国の学生などSinologyって何?といふ感じだつたが、この「支那学」は現代の所謂「中国研究」とは一線を画す。その独逸君は「パン職人」だつたが目指すところあり大学で支那学を研究してゐるさうで「中国語マスターしてビジネスしましょ」的な欧米の学生とは、これも一線を画してゐた。その独逸君と伯林の壁崩壊の翌日だかにばったり遭ひアタシが突拍子もなく「独逸解放おめでたう」と口にすると彼の複雑さうな含羞んだ笑顔が何だつたのか、その時も今もまだピンと来ず。もう一人の独逸君は香港で某世界的生活用品会社に就職し、だうせ就職するなら欧米に戻ってにすればいゝのに、とアタシが思つたのはいくら世界的企業とはいへ香港で「現地採用」と思つたからだつたが、彼は中国地区の営業担当のあと欧州に戻り東欧地区の総括マネージャーになつた後は欧州の営業代表となり今では執行役員に。この企業は採用場所が欧米でも香港でも関係なく才能と実績あれば本社で出世できるわけで、これが日本企業だとメーカーでも商社でも、まづあり得ず。