富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十九歳の地図

fookpaktsuen2014-11-08

農暦閏九月十六日。雨。午後まで陋宅で机に凭り書類整理。午後遅く按摩。尖沙咀でZ嬢と待ち合わせAustin Aveの北京餃子店に飰す。科学館。柳町光男監督の1979年の映画『 十九歳の地図』を見る。当時、まだこの北区で新聞配達する浪人生の主人公(本間優二)より若かつたアタシは中上健次も知らなかつたが「この悶々とする気持ちわかるよなぁ」と主人公にかなり心情移入して二度だか見た記憶あり。今回見て何が新鮮だつたか、といへば十代のときは助演にすぎないやうに思へた新聞配達仲間の三十男役の蟹江敬三新聞販売店山谷初男で、むしろさうした中年のペーソスのほうが実感として沁沁とするから。それにしてもこの映画、東京の北区を徹底的に舞台にするが(北区から外の場面は僅かに主人公の通ふ代ゼミくらゐ)北区にとつては「北区のマイナーさ」ばかり強調される。同じ下町でもフーテンの寅さんの葛飾柴又は人情の世界だが、こちらの北区はとにかく登場人物は何かしら傷心、人間関係も荒んだものばかり。これぢゃ北区も救はれない。但し70年代末の北区の町並みが実によく記録されてゐるのは貴重。それでも主人公が精緻に作成する新聞配達先の家々への「仕返し地図」は「王子スラム」とかつて呼ばれた←そこを知るものがさう蔑視してゐた場所も含め実際の地形図からは多少ディフォルメもされてゐる。この王子の「路地」は自衛隊の十条駐屯地から東に十条台小学校の南の谷間を経て南橋から大川の方に続いてゐて、滝野川だかから追い立てられた人々が移り住み朝鮮人が多かつたといふ←映画のなかでもオモニたちが路地で白菜を洗ひキムチ漬の準備する場面あり。今ではすつかり「整備」され王子のこの路地はそのまゝ国道455線となり東北新幹線の下を潜り大川のほうまで続いてゐる。当時の面影は何もない。昔のことのやうだが八十年代前半まではこの「戦後」が残つてゐた貴重な記憶もあり(こちら)。
朝日新聞でフランシス=フクヤマ氏のインタビュー「米国と世界のこれから」読む。フクヤマ氏の「歴史の終わり」が出て四半世紀の由。冷戦構造の終焉で自由民主主義が恒久的に生き残るはずがテロリズム国家といふ共産主義国家に替はる新たな敵が現れ今は冷戦の時代より世界は混迷。

私は今も、民主主義国家同士は戦争をしない傾向にあると考えています。しかし、世界には、ロシアや中国という強力な非民主主義国家が存在します。今年は、それらの専制国家が領土拡大の野心を示した大きな変化の年であり、地政学がものを言った19世紀や20世紀に逆戻りしてしまったかのようです。

フクヤマ氏。
ソニーとそっくりのロゴのサニー、日産製の冷蔵庫すらあった。ひと昔前のアラブの市場である。どれも信頼ある日本製の模造品だった。それらを扱う怪しい商人らも「日本は武器を売りつけず発展した。だから尊敬する」と真顔で語った。カネでは変えない美徳がある。安売りする愚かさが堪え難い。……と安倍政権での企業の軍事輸出に都新聞「こち特」で牧ちゃんの弁。
▼學民仔上深圳被拒入境。昨日一人の中学生が香港から深圳に入境拒まれる。學民思潮の幹部ではないが一成員で深圳では「朋友聚會」で政治活動企図してをらぬと本人の弁。回鄉證没収されず明確に「違反國家安全活動」と言はれたわけぢゃないが当局にかなり広汎な鄢名單あるのは確か。それでも中国当局は「活動家」はFacebookの交友網など覗けばわかるわけで。
▼次期行政長官に名前の上る梁錦松(前財務司)が昨日、中文大学學基學院でのスピーチで「今日無記者,可以坦白些講」と相変はらず気儘な放言で予定通り今日の新聞記事に。
「香港即使無普選,但有自由」,梁並以中國及泰國為例,稱即使中國無普選,但能令中國經濟步步上揚;相反泰國有普選,經濟卻持續不穩,他認為港人最重要的不是思考普選的問題,而是確保「有效管治」。
なんて明らかに北京向けの発言に錦松梁の神経疑ふばかり。いつも詰めと脇が甘いのがこの御仁なり。