富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2014-11-05

農暦閏九月十三日。曇。日経平均が7年ぶりだかで17000円台。もう16、7年前かしら下落続く日本の株価だつたが18000円で銀行の担当に「底が見えた」と投資唆され、つい相場に手を出したら海底掘り続けるやうに下落続き大損を放き、それ以来18000といふ数字が関門のやうに頭から離れず「7年ぶりだかで17000円台」と聞いても、まだそんなものか、と思ふばかり。晩に帰宅して夕食前にカクテルグラスに氷を盛つて冷やしながら「さて今晩は何を飲まうかしら」と思案がいちばん楽しいとき。ウオツカとジンジャーワインの鶏尾酒。夕食後に寛いでゐたらメールで一つ対応必要となりメールと携帯でのやりとりで三更に至る。昔なら世の大人たちはサントリーオールド飲み、雪印の6Pチーズ頬張りながら11PM見てゐた時代、突然の電話でもない限り仕事は翌朝出社してからの対応で良かつたはずで「今日のうちに対応してネット対応」なんてなかつたわけで、そんな昭和を懐かしく思ふ。ふとバド=パウヱル聴きたくなつたがLPはあるがターンテーブルが繋がつてをらずCDはない。iTunesで見るとThe amazing Bud Powell vol.1がHK$53也。学生の頃に金欠で2,800円だつたと思ふと隔世の感あり。
▼赤瀬川さん逝去で南伸坊氏による追悼を都新聞で読む。

人はなにかを思いついたり、なにかが分かった時にとてもうれしいものだ。赤瀬川さんはこの瞬間をいつもどこでも現出させようとした。しかもそrを、みんなでしようとした。(略)持論や結論を懐に入れた言いまかしや、切返しの妙というのではない。誰かがその場に投げ入れた話題を、ふくらましたり、ころがしたり、くるくる回したり。(略)発明しようとした時に発明できるのではないし、発見しようとして発見ができるのではない。いつもその瞬間をおもしろがっている。赤瀬川さんはそういう人だった。

▼国の評価は経済力や軍事力ではなく論理性や倫理性で測られる。福島事故後の国の対応を見る限り双方の劣化は著しい。事態を直視しないことは感情をも傷つけている。その対応として心に「道徳」のコピペを施すことが真顔で語られている。「美しい国」どころか、この国はいま存亡の縁にないか。……と都新聞「こち特」で牧ちゃんのデスクメモ。中国漁船の小笠原沖での珊瑚密漁も問題となり政府は官房長官の菅某など「我が国の領土•領海は断固として守る決意」などと宣ふが、これも間接的には日中間の関係良好なら中国側も密漁取締りに動けるはずだが晋三には無理。都新聞の「こち特」で「どうもおかしい安倍首相」と嗤はれてゐたが暴言や感情抑へられず、のキレぶり、再び健康不安説……と次の衆院選まで五年保たぬのは確か。それを第一次晋三内閣と違ふ点はアベノミクスの存在、と伊藤惇夫(政治評論)。アベノミクスは「まさに命綱」なのだが多くの国民がその恩恵を受けない時期があまりに長く続いて」「国民に見切られたとき安倍内閣は取り返しのつかないほど大きなダメージを受ける」。
▼TPPに関してはどの新聞も(赤旗でも除けば)腰砕けだが昨日の朝日の社説「TPP交渉「中間選挙後」を生かせ」はひどい(こちら)。冒頭から「目標としてきた今年末までの合意は厳しくなった。「最終ラインが見えるところまで来た」などと強調することが、かえって難航ぶりを浮き彫りにする。」って今年末までの合意など最初から無理は明白。社説の最後を「国と国との利害のぶつかり合いをまとめるには、妥協も欠かせない。自由化に前向きな提案をしつつ、米国をそう説得する役回りを果たせるのは、日本をおいてほかにない。」と、かういふ「何様のつもり?」は産経、読売も驚く傲慢さ。
毎日新聞でハルキムラカミのインタビュー拝読。彼の作品で主人公が井戸の底に座つてゐて石の壁を通り抜けてしまふといつた場面を欧米人は「ポストモダニズムだ、マジックリアリズムだ」みたいに解釈するがアジアでは「さういふことはあるかもな」と自然に受け入れてしまふ。アジアでは何がリアルで何が非リアルかは表裏一体。……といつたコメントは面白い、が十月に一週間滞在した意太利で「毎日、誰かに声をかけられた」が日本では街を歩いてゐても月に2度くらゐのことで80年代後半にも意太利にゐたことがあるが自分の人気が、その時とは一変してゐたし、自分で一番驚くのは今夏「色彩を持たないナントカ」がNY Timesでベストセラー第1位になつたことで米国で初めて翻訳出た80年代末あまり売れなかつたのが「それから25年かけて、だんだん実績を積み重ねてベストセラーの1位までいった。そういう伸び方はすごくうれしい」って村上ファンとして(は冗談だが)あまりにベタで世俗的、小市民的な感想と発言が何とも。「でも僕はこの作家のこういう「本音はこんなこと考えているんだよね、本当は」みたいなところが好きなのは抜栓したワインのコルクがテーブルの上で2回半くらい転がるのと同じくらい自然なことなんだ」とか思つてくれるファンが多いからいゝのかしら。でもかういふコメントってノーベル賞の選考委員会は嫌ふんだな、きっと。