富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

學星者死

fookpaktsuen2014-11-04

農暦閏九月十二日。政府からのレターにいつも何か標語みたいなものがあるが「馬路危険、不容冒険」と(Road Accidents Wreck Lives)。普通に見れば「交通安全」だが今日日だと民主化運動の道路占拠に対する「反佔中」のスローガンと読めなくもなし。午後六時前に「だいぶ日が短くなつた」と思つたら、もう十一月である。早晩に帰宅して、さて何を飲まうか、とふとスミノフのウオツカとAmarulaで鶏尾酒。これが咄嗟の配合だつたが実に美味。嬉しくて二杯目は初めてウヰスキーマティーニ。これも二杯目には合ふ。大根おろしのスープで韮を煮て豚バラ肉しゃぶしゃぶ。
▼陶傑さんの蘋果日報連載で「學星者死」が秀逸。香港での民主化運動に合はせ「本当の民主がなくても国家が反映し国民が幸せに暮らせることは可能かだうか」と。答へは「可能」で李光耀シンガポールがそれ、と。但し「李光耀」は世界中で「獨一無二」の産物で、李光耀は歴史の運勢が作り出した他に例のないカクテルのやうなもの、と陶傑さん。李光耀のには中国二千年の儒家と法家の思想にヴィクトリア時代以降の英国の法治と理性、ドイツの優生学と規律が一身に備はつてをり、そこに第二次世界大戦を経た戦後世界で東西冷戦、アジアの赤化といふ状況にあつて李光耀シンガポールに民主主義は与えぬが公正保ち独特な国家を作り上げてゐる。李光耀の為したことはその他の華人国家や地区が夢見ることのできぬもの。李光耀客家系佳境だが「中国人」ではなく、ケンブリッジ卒業の弁護士でエコノミストケンブリッジケインズの思想的源泉。李光耀は「政府」の権威と統治力を信じ、ケンブリッジが反逆する力育むやうに1970年代の東南アジアで赤禍とイスラム国家の包囲網のなかでイスラエル人が紅海を渡るやうにシンガポールを自分の理想の国家に建設した。シンガポールには西洋と東洋、そして法治と人治が共存し家父長的独裁国家となりシンガポールじたいが李光耀の資産。その結果が李光耀儒教的資本主義となり、これはアジアにあつては西洋の国家の原型とは異なるが、これは誰も、どの国も真似出来ぬもの。
李光耀熟知華人的DNA,也深諳西方的價值,他一拍桌子,告訴華人:什麼你可以擁有,什麼不可以,新加坡人個個服貼,西方也沒有話講。像齊白石的名言:「學我者死」。新加坡是別人學不了的,那些說想學李光耀的,個個皆不自量。
と陶傑兄の弁。
▼日経で常盤無尽が横銀と合併と報せあり。アタシが子どもの頃はすでに本社は東京だつたが旧本店の水戸支店は格上。中央ビルの駐車場で遊んでゐて、ボール遊びで支店長車を汚したり運転手に「危ないよ」と怒られてゐた記憶。水戸の畏友J君が「これは旧川崎財閥系の合併」と。確かに両行とも川崎財閥系で、定徳会も水戸との紐帯はもはや微かになつたが元々は水戸藩御用商人の川崎家。川崎財閥の基盤だつた川崎信託→日本信託や第百銀行三菱UFJ傘下となり、第百生命も外資になつた今、この合併は「川崎らしい血脈」か、とJ君。