富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

比較日本學研究中心

fookpaktsuen2014-10-14

農暦九月廿一日。昨晩は九時過ぎに寝たのに起きたら午前六時前。この時期、暑くもなく寝汗かゝず寒くもなく。暁を覚へず、といふには早い朝五時半まで熟睡。今朝は蘋果日報届く。朝所用あり黄竹坑(香港仔)から中環往き路線バスに乗つたら香港仔隧道内で渋滞し隧道出た最初のバス停(湾仔の立徳里)まで55分要す。今日は道路占拠派が金鐘と銅鑼湾で一部を除き金鐘道の上下線、それに銅鑼湾は怡和道の片側は撤退でほゞ無抵抗ななか警察が障害物撤去し十六日ぶりで自動車通行再開。さすがにアタシまで道路封鎖の影響で連日余計な仕事増えてゐたので(学生君らの運動は香港の政治状況では必要な部分あり、と思ふが)道路占拠は一寸しんどすぎた。新聞「信報」に旺角の米線(ビーフン)屋が売上げ半減で廃業といふ記事があり佔領中環で金融や富裕層に圧力かけるはずがとばっちりはビーフン売ってなんぼ、の零細企業か、と思つたら小売飲食業も展開する投資家の経営するうちの一軒の旺角花園街のビーフン屋で旺角の道路占拠始まり売上げ半減だが「もと/\毎月約100万ドルの赤字だった」って、道路占拠での売上げ下落よりそっちの方が問題だろ(笑)。道路封鎖は鉄柵に加へ香港の伝統的な建築に使ふ竹組の長竹まで持ち込まれ道路封鎖に利用されたが警察による撤収作業で警官が電気ノコギリで竹を切つてゐるのはよくない。再活用できる資源材、竹組職人が見たら怒るだろ。晩に日曜日の残りのMont D’orの奶酪がありZ嬢が秋の美味しそうな栗を仕入れてきたので試しに栗にMont D’orをつけて食べたら、これが格別に美味い。栗のチーズフォンデュである。Le Sartreの2010年飲む。
▼東京では香港の町並みミニュチュアアートの展示会@サンシャイン60で。香港で昔懐かしい町並みや店舗の精緻なミニチュア作りがこれほどブームにならうとは思つてもみなかったが、そのレベルは年々かなり上がつてをりお見事。日本のマスコミの今の香港報道見ていると、そんなミニチュアを「ぐちゃ!」と叩いて潰した感じかしら、全くの誤認なんだけど。数年前これらの香港ミニチュアが中国での展示に貸し出して運搬が取扱いひどく原型不可能な状況で戻ってきた、って悲劇を思ひ出す。
▼香港中文大学には日本研究学科あるが今度はReserch Centre for Comparative Japanese Studies(比較日本學研究中心)なる組織開設の由。1990年に同大で当時の日語組(確か独、意と三言語で外語だつたはず)が日本研究学科に格上げするときに助手で仕事したのであまり悪口は言ひたくないがアタシは日本文学、日本文化といつた学術研究はあると思ふのだが(それに言語としての日本語習得)それらをジャンルを問はず「日本研究」とすることには疑問。これが許されるのは倫敦大学のSOASくらゐで中文大学程度で中途半端に「日本の現代文化」だとか「日本社会の特異性」なんて学んだところで何にもならない、と思ふ。そも/\「比較文化」とかが何故に学問として成立するのか、が疑問。それが例へば日本の古典文学といふジャンルなら畏友村上湛君と話などすると、なるほど古典の専門家ゆゑの素晴らしい話が聞けて、これが専門家か、と思はされるが比較文化とかアタシ程度でも「思ひつく」学問以前のネタばかりで、大学ばかりか大学院での講義も拝聴したり資料を見ても感心もしない。日本社会、日本人研究なら結局のところ『菊と刀』が最初で最後かも。それでも比較日本學研究中心なんてのが出来るといふことはスポンサーになるだけ未だ元気な日本企業があるのと、学問的に学生にこの器が必要といふこともなく何より研究者が多すぎて、その糊口凌ぐ働き場所の確保が実は大切になつてしまつてゐるのではないか、と思ふ。そして大学のなかで他の学部、学科と凌ぎを削るなかで組織を大きくして学生を多く受け入れないと潰されるリスク回避。でも結局、日本研究したところで学生の就職先としての日系企業は減るばかりだし魅力も見いだせず……ではアタシは日本文学は文学部に、日本社会研究は社会学部に戻し純粋に日本語習得は語言中心にすればいゝと思ふ。「日本研究」だけを特化して悦んでゐるのもガラパゴス化の発想にすぎない。
▼紐育時報で“The big lie behind Japanese whaling”といふ日本の捕鯨反対の記事を読む(こちら)。発想が反日的なアタシも捕鯨については何故、西洋社会があんなに神経質になり日本叩きするのか、が一般的な日本人の感覚で理解できず
Drawing on realpolitik, the governments that are concerned about whaling would do well to help Japan secure access to sustainable fisheries. Because, as it happens, the best way to protect the whales is to protect the fish.
なんて指摘も「さうなの?」とピンとこない。それでも実は日本人の鯨の消費は年間1人あたりわずかに24gで食料として本当に必要なものに非ず捕鯨で確保された鯨肉の多くが消費されず冷凍され貯蔵されてゐるのは結局のところ政府の狙ひは捕鯨権益の確保、そのために国民は騙され税金が費やされてゐる、と指摘されてしまふと、これはマズいのでは?とも思ふ。いずれにせよ個人的には捕鯨はなくてもいゝかしら。