富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

文藝春秋は日本に必要か

fookpaktsuen2014-10-13

農暦九月二十日。朝起きて陋宅の扉開けると蘋果日報届いてをらず。新聞配達が珍しくフロア間違へ一階上、下へ誤送か?と思つたが「あ、」と蘋果日報のサイト見ると反民主運動派の土共一味が将軍澳の蘋果日報(壹媒体)社屋入り口にテント張り抗議のピケで未明に早刷りの出荷能はず。外のコンビニにも蘋果日報なし。結果出荷は六時間後の由。蘋果日報に対するハッカー攻撃も続き終日、同紙のHPは閲覧に支障ありと聞く。朝、一寸いゝことあり。郵便局で先週末発売の記念切手「香港の伝統的な食品」シリーズ……何よ、これ、センス悪すぎ。夕方、ミニバスで銅鑼湾に出るがやはり市街地は慢性的な渋滞。民主化運動の道路封鎖で繁華街の渋滞も深刻で「封鎖解除を!」の世論も高まりつゝあり佔領側は政府が政府総部の公民広場をば開放すれば金鐘等道路封鎖に応じると言てはゐるがだうなることか。それにしても政府総部の敷地内、それも最も動線にある空間に「公民広場」と名づけてしまつたのも皮肉。こんなことになるのなら「資材置き場」だとして囲つてをけば良かつた鴨。で今日の銅鑼湾は、といふと見慣れると慣れるもので道路封鎖が「今のところ何も変わりない日常の風景」に見えるから。Wシャツ屋でシャツ注文したら実に3年ぶり。帰宅して蒸したマルコバン(金錩魚)蒸して中華風にして飰す。文藝春秋十一月号読む。文春って何で毎月しょーもないことに「総力特集」なのかしら。時々「特大号」も出るが頁数多けりゃいゝといふものでなし。週刊文春が一段落と思つたら文藝春秋本紙で「隠蔽された朝日新聞罪と罰」の大特集。而も臨時増刊で「朝日新聞は日本に必要か」ですって。朝日新聞にも問題あるが朝日がダメで儲けやうとする文春の菊池寛以来の品位の無さは「文藝春秋は日本に必要か」ね。それでも、この特集記事より凄いのは伊太利婆=塩野七生刀自の連載随筆で「朝日新聞叩きを越えて」であある。伊婆が「目的はあくまでも、朝日の誤報によって悪化した海外からの日本への評価の改善にあり」と書くの多少は朝日のことも擁護するのか、と思へば「目的はあくまでも、朝日の誤報によって悪化した海外からの日本への評価の改善にあり、朝日非難はその前段階にすぎない」ってさすが(嗤)。朝日がクオリティペーパーといはれるのは紐育時報やタイムスが朝日を「良質だから信用が置けると判断したからではない」さうで、たんに「提携関係にあるから」って、それぢゃ何を理由に提携したのか、カネか、朝日に対する信用でなければ朝日以外で(伊婆が評価する)読売も産経もクオリティペーパーに値しない、といふ消去法の結果で朝日が残つたのでは? 朝日劣勢で水を得たが如き伊婆の批判は朝日に留まらず寅さん並みのインテリ嫌ひで「インテリは、自負すればするほど一度染められた考えに縛られる性向」ださうで、当時の政治担当者全員の国会招致して(民主、社民ばかりか自民党の議員も対象だが)日本の一般大衆も初めて「ハト派とされてきた政治家たちを一堂のもとに見る」機会とし「彼らの表情、言い方、それによって顕わにされる彼らの考え」を知るべき、と……文革か、もはやこれはナチス独逸がそも/\各地に派生したユダヤ教徒がゐただけなのにユダヤ教徒を一つの民族化してステレオタイプユダヤ人像作り上げたのと同じ発想だが、それをすることで「タカ派ハト派を問わず日本のリーダーたちへの有権者の冷静な判断力を高める役に立つ」のだ、と結ぶ。なんだか全く意味がわからないが最後は得意のイタリアのこと持ち出し

マキアヴァェッリは、目的のためには手段を選ばず、などとは一言も書かなかった。だが、著作を読み込んでいくと、目的のためには有効ならば手段を選ばず、とは言っている。有効なるか否かは、意志の問題だ。慰安婦誤報で落ちた日本の評価の改善も、結局はされわれ日本人全員の「意志」にかかっているのである。

とハチャメチャ。これを書いた人も書いた人だが、このレベルで載せる文藝春秋がやはり知力が低いし、同誌が国民的総合誌だとしたら日本人の平均的思考力が文春並みといふことか。
▼日本で台風19晩は沖縄、九州、四国から本州は泉州岸和田に上陸の由。なぜ学校の休校措置が市町村レベルで同じ都道府県でも隣接の市町村で判断異なり、となるのかしら。これぢゃ誰も決定責任もとれず。