富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

董建華禍港,曾蔭權害港,梁振英亡港

fookpaktsuen2014-10-06

九月十三日。湾仔区と中西区の中学校は再開。金鐘、銅鑼湾、旺角の道路占拠未だ続き香港島では銅鑼湾(そごう前)と金鐘を迂回するLeighton RdやKennedy Road、将又ずっと山の中腹の大坑道まで終日、渋滞。占拠九日目で初めて銅鑼湾に出る。そごう前の道路占拠は学生がちらほらゐる程度で通行人や観光客が鉄柵アート?やプラカード、横断幕など写真に撮つてゐる。いつもの芋を洗ふやうな人出はないが歩行者天国なので歩き易いのは確か。そごうに入ると客足はさすがに落ちてゐる。夕方、明日から同地区の小学校も再開と教育局から発表あり。早晩にFCCで都市開発S氏と時事談義。帰宅途中に中環を歩くと道路占拠は「金鐘」とされてゐるが中環も占拠初日同様にマンダリンオリエンタルホテルの地点を起点に正面のConnaught Rdも後ろのChater Rdも金鐘方面に向け道路封鎖されたまゝ。不思議なのは道路に鉄柵が幾重にも置かれてはゐるが占拠する学生が一人もゐないこと。警察が鉄柵排除しようと思へば簡単だが警官も一人もゐない。少しでも警察が動けば学生がまたうわっと沸いて出ることへの警戒か。それにしても不思議な光景。当初「佔領中環」で三人の発起人ら大人たちが考えたのは政府が普選実施しないのなら金融ビジネスの中心=中環を占拠することで経済活動に混乱を齎すことで民主化アッピール……のはずだつたのにネットで0.0何秒の相場変動で利ざや稼ぐ金融は佔領中環でも大きな打撃なく、それに対して学生たちが占拠したのが純粋に政治問題なのだから香港政府総部であり繁華街でのピケで商業活動に影響、主要道路の封鎖で、これが「佔領中環」より社会的には大きな衝撃となり……が表すこの中環のあまりの閑散。
▼数日前、人民日報は行政長官測量梁支持と書いてはゐたが、こゝ数日、測量梁支持の言説がすぅーっと失せてゐる。逆に今更董建華が社会の安定、相互理解など力説する始末。親中派、北京中央にも今回の騒動に関する測量梁の対応の拙さに真剣に「この人ぢゃダメ」意識が生じてゐるのかも。それにしても董建華文革曾、測量梁と、よくぞこゝまで何かしらダメな人を連続して行政長官に欽定したもの。普選実施の必要性もあるが、それ以前も北京中央が選ぶ行政長官がもう少しマシな輩であれば、これほど普選実施の世論も高まらなかつた鴨。昨日の信報で游清源が「董建華是「能力不高,城府甚深」,曾蔭權是「英式幹將,中式污吏」,梁振英則是「成事不足,敗事有餘」で、簡単に言へば
董建華禍港,曾蔭權害港,梁振英亡港
と言つてみせたのは妙。
自衛隊の隊員募集のDM送付のため7割の自治体が住基台帳から対象となる年齢層の市民データを自衛隊に提供(都新聞)。