富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

香港そごうの8階

fookpaktsuen2014-08-22

農暦七月廿七日。朝、バスの車窓からぼんやり外眺めてゐると通りかゝりのトラムの広告、衣料品でSuperdryを「極度乾燥」はいゝが、そこに(しなさい)と命令を、平仮名で、しかも( )つきときたもんだ。全く意味不明なのが目に新しい。広告のネタが続くが夕方、銅鑼湾のMRT站ホームで見た银联(UnionPay)の広告。「所詮、中国の銀行カード」だと思つてゐたが先日、日本橋の郄島屋の店内にあつたATM機でもみずほ銀行でも画面の最初から银联(UnionPay)と表示あり中国の経済力はこゝまで拡大してゐるのか、と驚くばかり。数年前までは「なにそれ?」だったのに。一時の日本信販など比べものにならぬ海外での「民族カード」の普及。それにしても広告の“Enjoy the world your way”が中国の成金らだと思ふと笑ふに笑へず……。
▼「そごう」の水島広雄氏逝去。享年一百二。興銀からの出向ながら「そごう」の経営者として君臨、香港には1983年進出で大丸、伊勢丹三越松坂屋に遅れとつたが銅鑼湾の一等地のビル(East Point Centre)のフロア買取の結果、賃貸で営業してゐた他の日系百貨店が90年代に相次ぎ撤退するなか「そごう」だけは存続。それが2000年の日本での経営破綻で香港の「そごう」は地元企業に売却され「SOGO」と「崇光」の名前がフランチャイズで残つたもの。西武も同じく名前だけ存続したが昨年でお終ひ。「そごう」が日系の名残りは地下の食品売場に日本食品が多いのを除けば旭屋書店があるくらゐ。1993年に同ビルの増築部分の11〜16階を「ジャンボそごう」として拡張し「紀伊国屋書店が進出」と当時かなり期待されたが結果、大丸にあつた旭屋となり(98年の大丸撤退まで銅鑼湾に旭屋は二店体制)この増築部分は「そごう」のやうでゐて「Sogo Club」だかの名称で微妙に区別されてゐるのは大型店の店舗営業許可の関係の由。11階こそ旭屋が営業してゐるが12階は結婚記念写真だかで13〜16階はエステとなり実質的にはデパート(小売業)としては機能してをらず。ところで香港の「そごう」には8階がない。ホテルで4階や13階避けるのはわかるが8といふ、中国的には禁忌どころか縁起よき数字。これは「そごう」が1983年開業当時は確かビルの7階まで。樓上は主に開業医が多く高級オフィスビルで最上階の22階には嘗て築地の金田中あり。「そごう」拡張の際に上層階買収に動き9、10階に店舗拡張したものゝ8階は貫通できず旧館部分は今でもエスカレーターは7階止まりでエレベーターは8階飛ばし9階に往けるが10階は階段となる。ビル増築部分は7〜9階にエスカレーターも通じてゐるが8階は踊り場。何だか都会の怪談。その8階が存在しないと思つてゐると旭屋に上がる増築部分のエレベータは売場のない8階に止まり扉が開くとコンクリートの壁で「ぎょっ」とする……が「そごう」の店員が乗り降りするのは「増築部分の8階」はそごうの事務所や従業員の更衣室等に利用されてゐるから。で旧館部分の8階は「そごう」の倉庫があるとか←デパートで最上階に倉庫もあるまいし、アタシは勝手に「そごう」が元来7階までで上層階の買収に着手したが8階はビル所有会社が売却に応じず8階飛ばしとなつた……と思つてゐる。