富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

銀座百点

fookpaktsuen2014-08-21

農暦七月廿六日。先日、銀座八丁目の渡邉に来年の巴水カレンダー購入で貰つてきた「銀座百点」の6〜8月号読む。本当によく出来た、日本で最初で最高のタウン誌。子どもの頃に祖母や母が銀座で買物のとき、これを貰ふと帰りの電車のなかとかで読んでゐて、子どもには読み物は六ッかしかつたが銀座百店会に属する店々の地図見るのが楽しかつた。地図で起点は当然、四丁目の玩具「キンタロウ」。年表で確かめると昭和29年に銀座百店会が結成され初代理事長は白牡丹の松田信四郎氏。その翌年(昭和30)に「銀座百点」創刊で当時銀座にあつた文藝春秋社が編集手伝つたため当時から一流の文化人らが参画し質の高い紙面になつたといふ。年表(こちら)見てアタシが明らかに「これを楽しみに読んだ」と覚へてゐるのは昭和51年の山川静夫の連載で、これは後に文藝春秋から『歌右衛門疎開』となつて刊行されるもの。同じ年に向田邦子の『父の詫び状』も始まつてゐる。それがかうして現在までずっとあのテイストのまゝ続いてゐるのだから大したもの。銀座俳句の選者は昭和63年からずっと睦郎さん。昭和40年くらゐの銀座百店会に属してゐた老舗を見てみたい、と思ふ。
▼仙台の一番町に江陽といふ有名な写真館がある。後藤江陽といふ人が岩切の豆腐屋の生まれだが写真機一台から戦後、仙台代表する写真館にまでになり、更に仙台の一等地で江陽グランドホテルまで設けてゐるのだから大した御仁だが、その江陽氏の平和についての話が先日、仙台で読んだ河北新報に出てゐたので切り抜き。仙台では地元財界の大物だが2003年にイラク征伐で反対の意見広告出したとは敬服。
▼ジャッキー=チェンが息子の祖名涉(33)の北京大麻醜聞に「死後要把骨灰盒放祖名床下,盯着不讓他做壞事,怎知兒子現卻涉毒被捕」(自分の死後は骨壺を倅の寝台の下に置き、倅がもし間違つたことでもしようものなら……)ってセリフがさすが舞台の名セリフのよう。ジャッキー=チェンの息子は北京の公安に完全に目星付けられてゐて居住する高級マンションは監視カメラで出入りする多数の芸人の記録もあり「次の逮捕は誰か?」の憶測が巷に流れる。習近平政権が汚職、麻薬、暴力等社会不安一掃に本腰で芸能人のおクスリ摘発も見せしめのため、なんて言はれるが芸人捕まへたところで大麻やコカインなどの普及が防げるものでもなし。芸人の大麻一服よか中共幹部の北戴河での夏休みの様子でも覗き見したいところ。

歌右衛門の疎開 (岩波現代文庫)

歌右衛門の疎開 (岩波現代文庫)