富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

見せかけの力強さや勢い

fookpaktsuen2014-07-31

農暦七月初五。朝の気温は摂氏廿七度なのだが、どこか涼しげ。早朝、バスの車窓からぼんやり外を眺めてゐると、いつも感心するのは路上で香港の緑化政策で一層多くなつた落ち葉を掃き清める作業員たち。市街地ばかりか、かなり山間の道路まで朝、幾人もの作業員が従事。それが、今日、大坑道で見た一人の掃除婦は路上の落ち葉丁寧に掃いてゐたが歩道に一本のペットボトルあり、それを握るとポン!と山に放り投げ捨てたのには言葉もなし。彼女は落ち葉掃きは仕事でもペットボトルは所轄外でポイ捨てか。帰りがけにジムのトレッドミルで5kmほど走る。陋宅で夏の鍋。
▼朝日の「大臣筆の省庁看板、字は人を表す?」が面白い(こちら)。アタシは防衛省発足で久間章生の「防衛省」の看板の文字に「これで国防が出来るのか」と思ふほど頼りない弱さ感じたが今となつては「あれでもまだマシ」と思へたのは内閣人事局発足で所轄の大臣・稲田朋美の揮毫が余りに悪筆だつたから。あれを「みずみずしい筆遣い」と評せる晋三もさすが←やはり感覚がヘン、だから集団的自衛権すら解釈憲法で出来るわけだが。あの看板について内閣人事局職員の「毎日の通勤時にこれを見るのは正直しんどい」は本音、毎日、仕事をしよう!といふ気持ちが萎むだろ。扇千景の「国土交通省」もバランス酷かつたが書き改めてゐた由。書家の石川九楊氏政治家の省庁看板につき「権力者が身を修めることや詩文書の教養、作法を欠いたまま、看板を書くという形だけが残っている」と悪しき慣習を批判、「こんな表札を掲げ続けていたら、東アジアの漢字圏の要人に日本が軽蔑され、官僚の士気も低下しかねない」「書は自らをさらけ出す『自己暴露装置』だ。素養のない政治家が安易に筆を執るべきではない」と。御意。稲田朋美の「内閣人事局」については

基本的で最も大切な均衡・均等、安定性を欠き、ここにあるのは見せかけの力強さや勢いだけだ。まさに、今の安倍政権全体を象徴している。

とズバリ。さすが九楊大人。