富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

白先勇、戲曲與歷史

fookpaktsuen2014-07-17

農暦六月二十一日。フィリピンから海南島の方に進む台風の余波で風強し。小雨。台風警報は1から3に。夏恒例で書展開幕。白先勇の《牡丹情縁》與《止痛療傷》戲曲與歷史といふ講演あり拝聴。先勇先生今年喜壽。一時間半余の講演は矍鑠と背筋も真っ直ぐ立つたまゝ。青春版牡丹亭創作の発端の話が面白い。この話の前振りで司会が聴衆の年齢尋ねると(平日の昼間といふこともあるが)高校生から大学生、二十代前半の若者多し。それだけ若い層が白先勇の読者といふのも興味深いが先勇先生曰く2003年に香港の沙田で中学生相手に崑曲を紹介することになり(当時スマフォはなかつたが)携帯で遊んだり友だちと雑談してゐた若者たちが、若い崑劇の役者が舞台で崑曲披露すると水を打つたやうに客席静まり崑曲に聴き入つてゐるといふ。そこで先勇先生、崑曲を、その代表作たる牡丹亭を若者向けに=現代でも通用する内容に改編すること思ひたち沈豐英と兪玖林といふ若手の崑曲代表する役者を当て、それが2004年の台北皮切りに台湾、中国始め世界各地で好評博し(青春版ではないが)兪玖林相手に大和屋が演じたのも記憶に新しいところ。そしてもう一つの話題は『止痛療傷』で語られる先勇先生の父・白崇禧将軍についての回顧談。中華民国軍の名将で国防部長務めた白将軍、民国36年に台湾で二二八事件あり直後の三月十七日に空路、台湾入り。四月二日まで十六日、台湾に滞在し蒋介石代理として事実関係調査と台湾の民心安定のために尽力。その年に先勇が生まれ二年後、中共による人民共和国誕生に合わせ国民党の最後の軍として台湾に渡つたのが白将軍の由。先勇先生は二二八事件に関して国民党政府がまだ事実公開が済まぬ点に言及。牡丹亭のDVDに先勇先生のサインいたゞく。「白」といふ苗字も珍しいのは白崇禧将軍の出自は回教徒で姓は旧来”Baiderluden”と称しペルシャ商人の末裔といふ。Baidurludenを白と改姓。その白さんから見ても「富」も珍しい苗字と映つたかしら。書展を出て湾仔站に向かふ歩道橋の上で何か?と思へばパレスチナの若者たちが書展で入場者にイスラエル政府のブースをボイコット呼びかけてゐる。書展に政府関係で出展はイスラエルと今年初らしい日本くらゐ。そのパレスチナさんたちのすぐ脇でイスラエル国旗を手にした若者一人佇む。一瞬、何かの冗談か……と思つたがガザ地区空爆などイスラエルによる攻撃の残虐さ盛んに報じられるが、それを否定する意志表示。よくもまぁ勇気がある、よくパレスチナイスラエルで湾仔のこの陸橋の上で諍ひ、喧嘩沙汰にならぬ、と驚くほど。お互い相手の主張する権利は認める、言論の自由なのか……本国もさうあつてもらひたいもの。帰宅してかれーうどん煮て飰す。
原子力規制委員会が九電川内原発の安全審査合格を内定。何が原子力の「規制」委員会か。再起動ありき、で検査してみせるだけ。原発再稼働「無謀な回帰に反対」の朝日十七日社説(こちら)。毎日の十七日社説「無謀な回帰に反対する」の方が理知的(こちら)。日経さんは「日本経済は消費税の反動を克服できるか正念場」で「再稼働の遅れが長引けば電気料金再引き上げなどの形で企業や家計に大きく影響が及びかねない」と多少の電気料金値上げと原発事故被害の大きさのどちらが深刻なのか、の比較も出来ぬ、所詮、目先の日銭稼ぎの知恵ばかり。