富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

上海、静安寺

fookpaktsuen2014-07-15

農暦六月十九日。空に雲一つなし。ぎら/\と照りつける太陽。早晩に中環。FCCに最近面識得たバンカーH氏と飲む。
▼日経で「日中結ぶ寺に政治の影」といふ上海の静安寺についての記事あり。静安寺といへば文革での破壊もあつたが上海代表する古刹の一つ。このあたりが戦前の租界の西端で、寺の周囲は閑静な住宅地で現在まで日本人含む外国人、今は富裕層が居住。あたしがこの寺参拝した1980年代の初頭、本当に寂れた侘しい寺で文革の被害とはいへ周囲の喧噪噓のやうに閑か。それが、この日経の記事でとんでもない規模に開発……。それだけでも驚くが記事の内容は、この三国時代の西暦247年に建立されたといふ寺と日本との浅からぬ関係。空海西安青龍寺で会得した密教を日本に持ち帰り真言宗となつたが、中国では密教が廃れ、戦前に日本に渡り高野山密教の教へを受けた持松法師*1が戦後、1953年にこの静安寺で真言宗伝へる道場開いた、といふ話。それが今日、密教が日本から持ち帰られたことが寺の正史ではすつかり伏せられたまゝ。古刹は1985年に修復(……といふか大規模再建)され密教の道場も改めて建造されたが今は「改装中で非公開」と記事は伝へる。記事の最後は日中関係ギクシャクとするなか党政府も含め敢へて日本との親密な関係を公にする必要がないといふ雰囲気がある、と結ぶ。さういはれると「なるほど」だが、気になるのは、この静安寺で「持松法師が真言密教を日本から持ち帰つた」といふ事実が何時から封印されてゐるのか、といふこと。1980年代初頭に訪れた際もそんなことは表示にはなかったやうな、あれが読んで気づくはずだが日本とそんな関係があつたとは当時全く知らず。さうなると史実隠蔽と、こゝ数年の日中対立とは直接の関係なし、となる。
▼信報の林行止專欄が「佔領中環」にかなり積極的評価。本日の「動員群眾出A貨 大好青年警察拉」。あたしはかうした北京中央への反発行為が結局のところ北京怒らせ硬直化させるだけでゼロサムゲームと否定的だが、林行止は

撇開心事不純、手法拙劣的一群,香港有不少人是發自真誠的「反佔中」,他們並非不理解民主訴求之強烈,只是憂慮「和平佔中」萬一發生,可能被「有心人」騎劫,釀成騷亂,造成經濟破壞與人命傷亡,令北京震怒進而成為赤裸裸露出專膻霸道面目的統治者嘴臉;換句話說,香港一亂,北京便有「重新洗牌」的藉口,而這肯定是「一國兩制」的急轉直下……,如此一來,最大受害者還不是香港!(略)其實,上述那些「反佔中」的理由,只是掩飾其怯於中央或扼殺香港發展的遁詞。飽於世故、薄有資財尤其是上了年紀的香港有產階級,他們在佔中問題上大都會有多一事不如少一事的想法,那是人之常情,他們苦口婆心的砌詞,不過是想保香港平安,如此才能享其安穩餘年或繼續牟取既得的利益而已!

と述べる。うーん……。いずれにせよ「佔領中環」で香港の金融ビジネスに大きな影響与へる、といふのは噓。金融取引がこれだけオンライン化されてゐて佔領中環で困るのは従業員の出勤とクーリエ便の配達程度。さういふ意味では本当に香港の経済活動に打撃与へたいのなら香港の港湾封鎖といつた手段もあり。

広東省で政府が勧める広東語制限。広東語の存在こそが南の蛮民どもが中央に反発する元凶か、と普通话化。

*1:在民国十年(一九二一年)到二十年(一九三一年)这段时间中,日本的密教−−即所谓「东密」者,在我国一些大城市中风靡一时。那时,内地僧侣尚没有到西藏学法的风气,学密宗的人都是到日本去修学。像杨仁山居士的入室弟子桂伯华,就是于清季末年到日本学密的。- 百度百科