富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2014-07-12

農暦六月十六日。平日に三日も留守したので公邸で書類整理。帰宅途中でHK Magazineを貰ひにHK Book Storeに寄つてから葡萄酒一本購ひ、といふお決まりの土曜日。陋宅で初めて清蒸石班を料理する。北角渣華道街市で一匹HK$62をHK$60にしてくれた石班。期待以上に美味。
▼台風「アライグマ」の警報が全て解除されたさうだがNHKのニュースで今回の「特別警戒」についての検証あり。沖縄の宜野湾市で二度となった特警、学校があるのかどうか、も連絡が後手にまわり、で保護者の曖昧な判断。特警出すまでもなく香港のやうに天文台気象庁に相当)の判断で台風の警報が発令され、それに応じて学校から官公庁、民間企業から金融取引まで一斉に災害警戒すればいゝだけのこと。それが出来ぬまま中途半端に言葉だけ「特別警戒」なんておかしな話。特別警戒なんて出るとたゞ「怖い、怖い」となる国民性なのだから。
▼七七事件(支那事変)から77年目。12日の蘋果日報に掲載の陶傑「事實與歷史」長くなるが引用。

「七七」紀念日,中國政府強調,要「尊重事實,尊重歷史」。
事實和歷史,當然是中國的蔣委員長領導抗日,中國人很可笑,也很可憐,「七七」至今快八十年了,連這點事實也未曾清楚,美國人不會至今還爭論:當年在珍珠港事變之後,決定向日本宣戰的,是民主黨還是共和黨政府吧?單這一點,已經一個字:呸。
然後是「七七事變」時之世界大局。日本犯的最大錯誤,是據有了中國東北,還不夠,還要進犯華北,如果要擴大戰事,日本最該走的一步,是進軍西伯利亞。
中國的蔣中正和汪精衛,都希望和平,只有毛澤東和蘇聯的史達林,最想日本向中國擴大戰爭。日本如果攻打華北,就不會從背後咬蘇聯,也會擾亂蔣中正的民國政府剿匪。
日本的東京中央政府,也沒有南侵的意圖,是東北的關東軍發神經,不受控制。蔣介石和汪精衛,一直主和,日本強而中國弱,弱的一方妥協謀和,天公地道。正如英國首相張伯倫,最初也與希特拉簽訂慕尼克協議。當時英國的民意,是不想與紱國輕啟戰端。今日回顧,都知道了後來發生什麼事,人人都可以當「事後孔明」,才會批評張伯倫。
但是不要忘記:活在一九三七年,你不能預知一九四一年,也不可預知一九四五年。一九三七年的形勢惡劣:日本已經侵佔東北,英國和法國只口頭「調停」,美國不作聲,還向日本賣軍火,中華民國孤立無援,只有蘇聯最怕日本襲擊西伯利亞,而毛澤東在延安,也最怕日本不攻打華北
日本像清兵,蔣介石像崇禎皇帝,毛澤東就是李自成,而汪精衛都卻不是吳三桂──吳三桂直接放清兵入關,汪精衛是當日本已經擁有半壁山河,才委身投靠。吳三桂為了陳圓圓的私怨,但汪精衛一直是為了救國大局。
所以「七七」禍害於中華民國,卻有恩於毛澤東和共產黨。也可以說,中華人民共和國遠遠孕育於一九三七年,所以毛主席真心感謝日本侵略。這就是事實和歷史。

確かに日本が満州から出なければ中国の歴史は大きく変はつてゐたかも。毛澤東は日本に感謝すべき、と陶傑さんらしい見方。たゞこれはあくまで中国に大しての自嘲であつて日本人がこれを読んであれこれ猜疑することに非ず。