富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

22年ぶりで仁左衛門丈にご挨拶

fookpaktsuen2014-07-10

農暦六月十四日。朝五時過ぎに目覚めると夜明けに傘をさゝぬ人もゐる程度の小雨。台風情報見れば九州から四国、北陸で大雨の由。朝から何処に出かけるでもなく客室で無聊のまゝ過ごす。難波。昨夕に続き松竹座。昼餉は幕間に隣のはり重のカツサンド。受付で松嶋屋の番頭から仁左衛門の名が熨斗に書かれたお土産いたゞく。その上で昼の部の芝居跳ねたあとに松嶋屋さんが楽屋にどうぞ、とお招きいたゞく。芝居は最初が橋之助で青果作の「天保遊俠録」。孝太郎の八重次、阿茶の局は秀太郎。児太郎の芸者茶良吉は綺麗。橘三郎みたいな脇役は貴重。二つ目が「女夫狐」で菊之助相手に狐が翫雀扇雀は昨日の沼津もさうだつたが「何とも不思議な兄弟」としかいひやうなし。最後が松島屋の菅原伝授手習鑑から「寺子屋」。仁左衛門の松王丸に女房千代が時蔵、源蔵が橋之助で女房戸浪が菊之助、御台が秀太郎で涎くりが国生。松島屋の寺子屋は四年ぶり。平成十年の仁左衛門襲名披露の歌舞伎座でこれをあたしも見てゐるが、その時は女房千代に神谷町、源蔵が播磨屋で女房戸浪が音羽屋、御台が京屋で涎くりが中村屋(当時勘九郎の18勘三郎)!といふ襲名披露だから、の「これでもか」の配役だがやはり凄い。この寺子屋、その筋はあまりにリアリティに欠け現代から見ると価値観も全く違ふやうだが、ほんとこの芝居って「信頼」だけで成立してゐるから、今ぢゃ到底考へられない信頼といふ関係。芝居跳ねロビーから番頭さんに案内され楽屋へ。風呂上がりの松嶋屋さん戻られご挨拶。夫人には芝居で何度もお会いしてゐるが仁左衛門丈ご本人にお会ひするのは実に22年ぶり。まぁずいぶんと肥へはつて、と笑はれる。22年前はちょうど大患ひされた後。楽屋見まひは次に女性お二人控えてをり早々に。松嶋屋さんお風呂上がりのガウン姿で記念写真は一寸控へる。香港から、で燕窩のゼリー贈る。母は松嶋屋が二十歳くらゐのときに歌舞伎座で、七、八人で素踊りしたのを見たのが最初だつた、といひ大贔屓の松嶋屋さんに二度目の対面で上方まで来て良かつた、と喜ぶ。夫婦善哉。あんな小さな店とは知らず。空はすっかり雨雲も失せ夕方の陽光が肌を灼くほど。難波の駅で新大阪から新幹線に乗る母を見送りZ嬢と一旦ホテルに戻る。上本町から天王寺まで近鉄の連絡バスあり今評判のあべのハルカスへ。阪堺電車線挟んだビルにある東急ハンズで買物。ハルカスの近鉄百貨店に戻り丸善、初めてジュンク堂書店。立派な商業施設ではあるが東京に比べると、やはり客の数は少なく閑散として見える(翌日の朝日大阪版一面に近鉄ハルカス本店が客足予想より1割減と記事あり)。環状線で隣駅の新今宮。駅前の立ち飲み、古書肆に寄りたいが新世界へ。夕陽が映える通天閣の下で岸和田Y氏夫妻と待合せ。新世界で串カツや穴子の寿司など飰す。ビールが中ジョッキ2杯で1杯無料、酒が2合で1合無料とつい/\飲み過ぎ。台風の雨風恐れ外出控へた輩も多からうが、それにしても閑散にも程がある新世界。地下鉄でホテルに戻る。谷町線堺筋線に乗り入れの阪急電車の車両がまぁ美しいこと。あの塗装「阪急マルーン」と呼ぶことを新潟M記者より教はる。