富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2014-05-12

農暦四月十四日。雨が朝のうちに止み漸く晴れる。風邪ひどく朝のうちに「どうしても今日が〆切り」の仕事だけ済ませ陋宅にて寝床に臥せる。薬で少し朦朧としつゝ文藝春秋六月号読む。銀座のロックフィッシュ風のハイボール飲む。おぢや。晩七時半に服薬して寝入る。
富士フィルムの意味不明広告シリーズまだ好調。逝與美。川端之目。なんだ、これ?……「逝與美」は「逝ってよし」か?と新潟のM記者。鈴木清順とかのイメージなのかしら。
文藝春秋六月号の特種は晋三の「保守」を問ふ。百人の「叡智」は右から中道左派までオンパレード。曽野綾子にしてみれば「現在の日本の現状をいい国だ、と感じている人が保守」で(笑)世界的レベルでひどい国と思ふのが進歩的リベラルで「日本が嫌いなら外国にどうぞ」。佐伯啓思が「世界中で保守が消えた」といふ時代。佐高信のいふ保守とは「声高に主張されるものではなく、もっと静かで自信に満ちたもの」であり「ヒステリックに叫ぶ非寛容なタカ派は保守ではない」。武村ムーミン正義も「保守とは一つにこの国のかたちを大切にすることにあり、一つにこの国の伝統を守ることにあり、一つに急激な改革を行わないこと」と。丹羽宇一郎加藤紘一も同様。姜尚中も米印の象徴天皇制憲法の擁護が保守であり戦後レジームからの脱却唱へることの革新は本来の保守からの脱却、と。中谷巌は橋下の反保守を非難。福田和也氏がこの保守論争のなか敢えて「毎晩、行きつけのバーや割烹に通うこと、つまりは暮らしのスタイルを維持し出来るだけ行き方を崩さない」さういふ感覚こそ保守の真骨頂として銀座でロックフィッシュでハイボール飲み、おでんなら「やす幸」と「おぐ羅」、蕎麦は大衆小説っぽく「よし田」と述べてゐるのが可笑しい。「真っ当に働き•学び•暮す市井の人々が“ノーブレオブリージュ”の気概も覚悟も持ち合わせぬ“駄獣の群”な政治家や企業家に義憤を感じて蜂起する前に「人々の革命への要求を先取りするような、その結果、人々が革命など必要としなくなるような賢明な政治」こと「真の保守」と田中康夫ローマ教皇の容赦なき警告」は一文字も無駄のない康夫節健在。そんな中で柳田邦男が戦後の魅力を謳ひ小林亜星が「戦争という人殺しを絶対に許さなかった美しい日本を右傾の国してはならない」と最も左翼なのが今日。上野千鶴子が「江藤淳さんが生きておらえたらなあ、と思う」と。本当に。山口二郎小熊英二亀井静香佐藤優岸田秀寺島実郎呉智英内田樹……などのコメント読むとまだ一億翼賛になつてゐない、ならないことはわかる。古市憲寿のいふやうに日本にはフランス革命の「自由、平等、博愛」といつた建国理念も市民革命も植民地支配からの独立といつた経験もなく「つまり「保守」すべき理念がどこにもない」わけで(だから「日本の美しい伝統」なんてのが憲法論争にまで出てくる)、結局のところ橋本治ちゃんの言ふ日本の「トップがそういう人だから」右傾化といはれるのでは?、寧ろ日本の国民の多くはたゞ311の大震災と核禍、それに対応できない民主党政権で「うだうだ考えていても仕方ない」で「ぐずぐず考えない→ブレない→人の言うことをきかない」トップを選んでしまつたわけで国民が「右傾化のなんたるか」を知らないこと、それが危っかしく思ふ、と。御意。それにしてもこれだけの特集で最後が佐々淳行なのかしら……「戦後レジームからの脱却」を担うのは「偉大な日本の思想家萩原朔太郎のいう「地軸に近く居る」ノーブレスオブリージュのある真の「保守」政治家(ステーツマン)だと思う」と晋三のことかよ、で最後こゝに落ち着いてしまふのがさすが菊池寛的な文藝春秋と呆れるばかり。