富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

那夜凌晨,我坐上了旺角開往大埔的紅VAN

fookpaktsuen2014-04-20

農暦三月廿一日。穀雨。曇。朝日新聞漱石『こころ』の再連載始まる。『こころ』は高校一年の時に後席のK君が彼独特の言ひ回しで「これは絶対に必読。これを読まないで大人になるとバカなまま」と自習時間に力説してゐて、我輩は猫である』も『三四郎』も通俗的と思つてゐたアタシが(『猫』はその後、この小説の言葉の使ひ方の面白さだけでも凄いと再読したが)『こころ』読んで当時は「プラトニックな同性愛」としか読みとれなかつたのだが、その後、サントリーオールドのテレビCMで若者が鄙びた温泉宿でごろんと寝転がり『こころ』読むシーンが印象的で『こころ』読み直すと、やはり近代人の自我ってかういふところで悩むものなのね、近代人でなければどーでもいゝことなのに、と思つた記憶あり。朝日のこの連載で人生三度目の『こころ』。作家としては漱石よりアタシにとっては脳天延髄切りだつたガルシア=マルケス師逝去。『百年の孤独』読んでしまつたこと。今まで自分の世界にはなかつた物語。中上健次も、さう。『族長の秋』は未だ書架で眠つたまゝ。連休三日目も昼過ぎまで官邸で書類整理してゐたが何だか詰まらなくて、ふと陳果監督の評判になつてゐる十年ぶりの長編映画『那夜凌晨,我坐上了旺角開往大埔的紅VAN』見ようか、とネットで席を確保してから旺角の映画館。旺角を深夜、大埔に向かふ紅色ミニバスが獅子山隧道のなかで違ふ次元にでも入つてしまつたのか隧道を出て沙田、大埔に向かふと路上に車一台、街に人影も一切なく……と、その不思議な環境の設定は面白い、それだけならB級ホラーだが、それをだう陳果監督が演出するか、と期待……なのに途中から話が散らかつてしまひ全然ダメ。駄作。コカイン中毒とレイプのシーンありⅢ級成人映画指定だが放映一週間で反響大きく、コカインとレイプといつても裸は無しだが、さうしたシーン削除のIIb級版も上映開始は他愛ないB級ホラーとして子ども向け。それにしても陳果監督にしては何のメッセージも社会性もなき陳腐な、それが単に娯楽作品でしっかり出来てゐるのならいゝが「つまらない」上にストーリーがはちゃめちゃで何ら凄みのないのだから明らかに失敗作。予告がよく出来てゐて=確かにそれだけ見ると『20世紀少年』的に「これを見なければ!」と思はせるのだが、上映後の若い客たちの反応は今ひとつ、で不満たら/\。道理。これで反響大きければ紅バスで生き残つた八人だかが大きな謎を解きに大帽山に向かふ続編の制作も一考と監督がコメントしてゐるが、フィクション性やホラー性のなかに、偶然にこの深夜のバスに乗り合はせた乗客たちのそれぞれの人生の陰翳が本編にはあつたとしたら(それも描ききれてゐないが)単に巨大な敵と立ち向かふやうな続編は更に駄作となるのは明らか。旺角も久々だが西洋菜街の歩行者天国の人混み、該当芸人や歌ひ手、路上写真屋だのよくわからぬ路上商売……こちらのほうが『紅VAN』の世界よりとっぽど不可解で恐怖的。九龍城に行きたかつたが旺角のミニバスのどれが九龍城抜けるのかわからず面倒なのでタクシーで九龍城。ジョルジュさんのChateau MauriceでBarbaresco 2009年購ふ。Z嬢の話で新三陽(火事のあと新装開店)の仔猫二匹が可愛い、「この猫、連れていかないか?」と店員に勧められたと聞いてゐたが好きな紹興酒買ひによると店の伯父さんたちも商売より猫可愛がり。潮州料理の南記飯店。金融A氏、同K嬢、法律S嬢、写真家K嬢、Z嬢と会食。直近の『飲食男女』誌が潮州料理特集で、この食肆も出てゐたが相変はらず繁盛。先代の女将が今でも矍鑠と料理供し汚れた皿を下げ、と客の接待する姿がご立派。新西蘭のSoho Marlborough Sauv Bl 2013年、Kenzo Napa Valley Yui Rosé 2013年、前述のBarbaresco、Madonnina Del Chiaro Damiani Barricato 2008年とよく飲む。潮州料理にはイタリアワインが合ふ。路線バスでてれ/\と帰宅。
▼小林“改憲”節教授(慶大)が晋三に対して96条改正が「裏口入学」なら集団的自衛権の解釈変更はより酷い「権力による憲法泥棒」と。御意。朝日は今日の社会面で「砂川なぜ今」と砂川事件取り上げ当時の東京地裁「伊達判決」に携はつた松本一郎(獨協大名誉教授)曰く「最高裁の判決をいくら読み返しても「集団的自衛権」には触れていない」「集団的自衛権を認めるならば正面から憲法改正の議論をすべきだ。閣議決定で乗り切ろうとは姑息だ」。そもそもこの砂川裁判、東京地裁は反対闘争した学生らを無罪としたが高裁飛び越へ最高裁が裁判官全員一致で地裁の無罪判決を破棄、それにより米軍駐留を違憲とする司法判断も否定。それが判決前に最高裁長官から米国側に判決の意向が伝はつてゐた、といふのだから。閣議といへば日経が「閣議」についての紹介記事で「閣議、さながらサイン会」と、確かにさうした面は否定できないが閣議書について「慣例で特種な形の花押が用いられ」と……花押に特種な形もなにもないのだが。同じ日経で浅間山荘事件の歴史記事あり(熱風の日本史)。「現場はまさに戦場だった」「国民は(テレビの)画面に映る「戦闘場面」を食い入るように見続けた」といふが、あれは確かに大きな暴力事件ではあつたが「戦場」といふほどか……アタシはあれをテレビで見たぎりぎりの世代だが過激派の学生たちの立て籠りに政府の指示で警察が総力挙げて「これでもか」といふほどに成敗したわけで、さながら巨大カルトによる弱小カルトの除去に思へてならず。違ふかしら。何だか歴史が下手に大きく語られることの怖さ。