富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

鬼子来了(姜文)

fookpaktsuen2014-03-29

農暦二月廿九日。週末。官邸で書類整理。昼前に大雨、黄色警報発令された由、気づかず。午後遅く尖沙咀。文化中心。映画祭で姜文(監督、脚本、主演)の『鬼子来了』見る。2000年にカンヌ国際祭に出品、審査員特別グランプリ受賞したが政府当局の批准前で国内上映禁止。香川照之好演で日本でも話題になつたが当時、香港でこの上映があつたのか記憶にない。140分ほどの作品だつたが今回は再編集版で160分ほどの長尺。舞台は1945年、日本軍の敗戦間近の中国、万里の長城が海に延びてをり場所は「天下第一関」と称される老龍頭近くの農村。この村落の馬大三といふ青年(姜文)、奇妙なことが起き村で幽閉することになつた日本兵(香川)、この天下第一関に駐屯する日本海軍の軍艦マーチの演奏ばかり印象的な小隊、近くの城市(秦皇島市?)鎮圧した陸軍との関わりがこの映画の全て。ときにスリリング、ときに魯迅的に嘲笑的、悲劇的にコミカル。香川演じる一兵卒が敵に殺され戦死と判断されたのにひょっこり復帰したことで「貴様はすでに靖国で英霊となっとる!」と疎んじられ(この場面がアタシも含む香港の観客にかなりウケた)、このへんから実に日本軍の、日本の体裁気にした価値観、判断がよく描かれてゐる。帰宅してソーセージ煮て夕食。Montagne Noireのシラーズ2012年飲む。二更に腹瀉ひどく養和病院の夜間診療にて薬の処方受ける。ドバイの競馬はワールドカップゴドルフィンのアフリカンストーリーという5番人気馬が優勝。デューティーフリー杯は日本のジャスタウェイが直線で前を塞がれた所かなり無理な進路変更からぶっちぎり6馬身差だかで優勝はお見事。シーマクラシックも日本馬のジェンティルドンナ文藝春秋四月号読む。保坂正康氏が「戦後日本の平和を支えたのものは平和憲法ではなく日米安保すなわちアメリカの軍事力」で「戦後民主主義はそれを認めなかった」って猪木正道の「空想的平和主義」なる語まで用いて、きっぱりと否定。些か強引すぎやせぬか。現実的には日米安保、米国の軍事力あつての戦後日本だが理念的には憲法戦後民主主義も一定の作用はあつたわけで、こんな言説では陛下に申し訳なし。「戦後民主主義日米安保あつての平和を認めなかった」のではなく、戦後の左派リベラルがそれを認めなかつたのであり「戦後の民主主義」には何の責任もない。かういふ発想が民主主義じたい否定することに作用するから。たゞ保坂先生のこれに続く記述で日本はポツダム宣言受諾して幸福したのだから東京裁判の不平など言へる立場になく、戦後日本で(戦後民主主義軍国主義否定の顕教に対する)大東亜戦争肯定論の最大の弱点は「戦後」といふ現実を乗り越える力を持たなかったこと、と。これは確かに。その現実が顕教的には戦後民主主義と平和主義であり現実的には日米安保だつたといふこと。数日前の新聞で福田博(元)外務省条約局長&最高裁判事が、憲法9条は「日本も批准した不戦条約(1928年)にある「国家の政策手段としての戦争を放棄する」といふ国際法を日本が守ることを担保とするために規定したもの」であつて9条は不戦条約と相まつて「紛争解決の手段としての戦争を国際法上も国内法上も違法化すること」に主眼があり、主権の一部である自衛権の話とは本来、無関係。交戦権の否認も戦争を違法化したことを念のために表現した規定と考へるべき、と。成る程。かうした認識は確かに空想的平和主義よりずっとマシか。尖閣列島の問題でも、この領土問題(紛争)で戦争行為はいけまえん、しません、但し相手がかうした紛争契機にかりに武力攻撃してきたら自衛はいたします、と。たゞ六ッかしいのは相手の戦闘能力を削ぐために相手国の領土にある軍事施設にまで攻撃することで、かうなるとアタシなどには理解できずやっぱり空想的平和主義になる。