富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台南に遊ぶ

fookpaktsuen2014-03-23

農暦二月廿三日。かなり熟睡して朝六時すぎ起床。ウルトラセブンのやうなスモッグのなかに浮かぶ朝日。窓が汚れてゐる所為もある。台南車站の後站と呼ばれる、市街の裏側にあるこの周辺は後站の站舎前に立つと目の前に遠東百貨店とこのホテルの超高層ビルがそびえ、左手(北側)は成功大学の広大なキャンパス、右手=南の線路に面した通りには貸しバイク屋が並ぶばかり。周囲にコンビニもない不便さだがZ嬢が大学があるのだから学生街があつても然るべき、と。Google Mapで調べるとホテル裏の育樂街といふ通りにはコンビニと何軒もの飲食店あり。たゞ朝の遅い台湾では、この通りも開いてゐるのはファミマと一見の朝食堂だけ。自由時報読みながら大して上手くない蛋餅をその食堂で飰す。南部に来るとコンビニの新聞売場でも一番メジャーなのが自由時報台北での反サービス貿易協定の学生抗議は行政院院長が協定取り下げや対話の姿勢見せず立院占拠は不法で退散を、と求めたことで交渉にもならず決裂。「十年前沒擋CEPA 港人後悔」といふ自由時報の記事(こちら)。この記事に引用されてゐる昨日の香港蘋果の李怡さんによる蘋論「今日香港,明日台灣」的30年變遷」(こちら)。

香港回歸快17年了。這17年,台灣走在民主道路上,跌跌撞撞,政治上政黨輪替,似乎乏善可陳,經濟上看來也落後於大陸與香港,但台灣原來匱乏的公民社會倒是逐步走向完善,人民的自主意識和愛護自己家園的觀念越來越強。大陸經濟起飛,但社會越趨潰敗,人民的自私貪婪、只顧自己不顧社會,已發展到見死不救見危不扶的極冷酷的地步。香港在中共和大陸人的侵凌下,也從良好的公民社會大倒退,廉署、警隊和相當部份的政府機構在政治干預下選擇性執法,受尊重的專業精神受政治衝擊,核心價值不斷受挑戰,奮發自強的香港精神變成絕望與無力感,滿街擁擠的大陸客及其中的劣質文化,和劉進圖事件,今天我們還可以像30年前那樣說,知識分子講話不會損及自身安全嗎?甚至,如柏楊說的在街道大小便只出現於半夜或人車較少的時候嗎?

と、それにしても李怡ほどの人でも思考になぜ出口なしなのかしら。一旦ホテルに戻つてから出街。とりあへず站前まで出ると安平、17世紀初頭にオランダ人によつて築かれたゼーランディア城塞遺跡のあるところ、そこに往くバスの発着所あり2番の路線バスで安平へ。徳記洋行といふアヘン戦争後に英国人商人が始めた貿易会社の建物が(日本統治期は日本の塩業会社)今は台湾開拓史料蝋人形館となつてゐるのだが正直言つて蝋人形で表す史実は乏しいものあり。安平はオランダ支配のあと鄭成功がオランダ人駆逐するのだが、その場面で鄭成功デカすぎ威厳ありオランダ人が矮小で卑屈すぎ て笑つてしまふ。安平古堡(ゼーランディア城塞)にも参るが、あまりの観光客の多さとお土産屋のチープさに圧倒され退散。2番の路線バスで市街に戻る。富北街の延齡堂高梁酸菜鍋に酸菜白肉鍋飰す。美味。酸菜のスープで鍋が上手い。台湾公園抜けて公園路321巷へ。日本軍の歩兵第二連隊官舎だつた一帯は戦後それなりの住宅地であつたが老朽化で再開発となるところ台南市の指定古蹟となり取壊し免れ今は一部を若い芸術家たちにアトリエ等として提供の由。陸軍の歩兵連隊といふと二連隊は水戸、だが、この二連隊は別で歩兵連隊にも陸軍のそれ(水戸に二連隊がある系統)の他に近衛二連隊、そして台湾歩兵連隊あり。路線バスで台南車站まで戻りホテルの客室で午睡。昏刻に起きて昼の鍋がかなり満腹感は未だ失せずタクシーで府前路に往き福記で肉圓頬張る。ぢまんの肉圓も美味いが「お好きにどうぞ」の牛骨の清湯は格別。克林の肉包(肉まん)立ち食ひ。「老街」から府中街漫ろ歩く。民権路の太陽牌冰品で二晩連荘の紅豆牛奶霜。昨日は明るいうちで気づかなかつたが向かひに映画館あり。新建國戲院。今どき珍しい成人映画専門館。あとでネットで知つたが太陽牌冰品もこの映画館入り口での屋台でのアイス売りが始まりの由。昔は建國戯院として一般映画館として隆盛、日活がにっかつロマンポルノになつたころかしら建國は成人映画専門となり新建國に。このあたりの台湾の市街史は台南在住の倫敦男孩といふ方のブログに詳しい(こちら)。民権路から暗い市街をまだ歩いて賑やかな青年路に出る。目的は東部幹線の鉄道踏切。警笛が鳴り遮断機が降りて係員が安全確認といふ懐かしい光景。通れるときに線路渡らず遮断機が降りるのを待つてゐると鉄道員に「ほら、電車が来たよ」と教へられる。朝は閑かな育樂路が夜になるとまぁ賑やか。飲食店はどこも盛況。学生多し。近くに国立台南一中もあり。今日になつて成功大學が鄭成功の名に肖るといふことに初めて気づく……てっきり民国的な意味合なのか、と。