富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

自由のない自主憲法よりマシな押しつけ憲法(鈴木邦男)

fookpaktsuen2014-03-01

農暦二月初一。また陽暦と農暦が一つ月ずれで日が一緒になる。土曜だが昼すぎまで官邸で書類整理。三月下旬からの香港国際映画節のチケット発売開始。朝十時にログインできたが観たい映画のコード番号と枚数入力していくと保存されぬ不具合、といふかサーバー負荷かゝりすぎて澤山の注文に対応しきれず何度も何度も入力し直し、やっと入力し終はつた、と思へば今度はCitylineの発券と支払い混雑で再読み込み続けるうちにタイムアウトとなり、また入力から繰り返し、でチケット入手完了まで90分かゝる。早晩にFCCに行くと「報道の自由」でブルーリボンの運動中。Z嬢来て早めの夕餉。恐ろしく疲労感あり早寝。
▼ネットでメールや更新記録見られてゐるばかりかYahoo!のサーヴィスなどでウェブカム用ゐた画像も当局に見られてゐた、とガーディアン紙。今更これに驚かない私がゐる。
毎日新聞の昨日から始まつた「保守と歴史認識」の連載が面白い。昨日は櫻田淳の保守論。戦後日本の保守層には二つの対外政策上の方向性あり。一つは敗戦国の境遇受け入れつゝ国際秩序の現状維持勢力として役割を幅広く果たして行こうといふ意図。もう一つはこの境遇を汚辱ととらへ、それを濯がうといふ意図。後者は欧米に受け入れられぬが晋三の政治姿勢での最大の不安は、この二つの意図のいずれなのか、がはっきりしない点。さらに後者を支持する層が晋三靖国参拝快哉叫び晋三周辺人脈の最近の言動が疑念膨らませる。櫻田ちゃんにいはせれば本来日本は「自由で繁栄した、人権を守る社会を作ろうという戦後日本の方向性を評価し、国際秩序安定の一翼を担うという意志を明確にすべき」で、集団的自衛権行使も憲法改正も、さうした国際秩序の中の日本にとつての構想があるなら「今」は現実に向けた一つの過程になる、が、それを考へないなら「今」の意味は一変して「前後不覚」「右往左往」といふ漂流と孤立に至る岐路になりかねない、と。確かに。続いて今日は右翼団体一水会」顧問の鈴木邦男さん「他国批判に「愛国」使うな」と題して説くは昔の自民党なら韓国、中国に行つてどんなことがあつても戦争だけは避けようといふチャンネルあつたが今は寧ろ意図的に喧嘩売つて反感導き出し自らの求心力高めようとしてゐる、外圧をわざと作り政権の安定を考へてゐるやうに見えて仕方がない、と邦男さん。「靖国に祀られている英霊たちは近隣諸国と関係が悪化する事態を望んでいない。彼らは二度と戦争をしないようにと思って亡くなった尊い犠牲者だ。その気持ちをちゃんと酌むべきだ」と靖国平和主義?。ヘイトスピーチにしても対外的な誤解を説くことが政治の役割。それがかういふものが強さの表れとして日本全体が引っ張られる。

他国を批判するために愛国心という言葉を使うのは単なる排外主義だ。日本だって間違いも失敗もあった。でも日本が愛おしいと思うのが愛国心だ。日本が悪いところは一つもないというのは失敗や暗い面を見る勇気がないだけで愛国心でもなんでもない。

ネット右翼などにいろ/\な形でつけ込まれる隙が晋三にある。不満や恨み、怒りを政権が代弁してくれるといふ錯覚が国民にある。それを否定する野党も左翼もをらぬ。今はそれで一つの報告に向かつてゐる感じ。

愛国心は常識となり、その度合いを競って歯止めがない。憲法改正エスカレートして徴兵制だって認める方向になるのではないか。(略)昔は非武装中立という理想論も語れたが、今はそんな自由はない。現実を見ろ、と言われ平和憲法を守ろうという力がなくなりつつある。今の憲法は米国に押し付けられたというのは事実だと思うし、きちんと見直すべきだとは思う。ただ今の政権で改正すればもっともっと不自由になり国民を縛る憲法になる。自由のない自主憲法になるよりは自由のある押しつけ憲法のほうがいい。形じゃない。

……達見。
▼蠟達智兄「日本,我們知多少?」二月廿七日の蘋果日報副刊(こちら)。すごくわかるなぁ、この感覚。私だって日本といふ社会に馴染めない時がある。

日本の現金社会……あれ、だうにかならないのかしら。本当に不便。クレジットカードの「信用」も信用できない稚拙ぶり。