富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

拒否権行使としての投票

fookpaktsuen2014-02-02

農暦正月初三。毎年春節三日に開催されるヴィクトリア山頂での發財レース。何年ぶりかしら、で参加したらゼッケン受け取る際に登録漏れ発覚。確認メールに来てゐたのに、それはテストメールで本チャンのメールが数日後だかに届き、それに返信して確定しないと出場できなかつた、と説明される。偶然その登録がfailedのリスト見たら数十名。やゝこしい方法で未確認者への対応もお粗末で問題があるのでは?と抗議したいが何百人もきちんと登録できてゐるわけで自分の脳足りんぶり自慢するのも馬鹿/\しいのでさっさと退去。官邸に寄り少し仕事。炎天下の鰂魚涌公園歩いて帰宅。昼に明太子のパスタでHayman’s Sloe Ginをソーダ割りで飲む。Sloeberryは酸桃の一種。午睡。内田樹『日本辺境論』(新潮新書)漸く読了。1章目「日本人は辺境人である」が日本人論として秀逸。やはり丸山眞男きちんと読まないと、と思はされる。『日本人の法意識』川島武宜(1909年〜92年)も面白さう。宥和。国民の物語の不在。司馬遼と樋口陽一先生語ったconstitution(国のかたち)。わが国の近代化も戦争も語れず。陳腐な愛国心や「お国のため」といふ漠然とした文言ばかり。「國體」も何かさっぱりわからず。他国との比較でしか語れぬわが国。第3章の「機」の思想が樹先生の内田哲学っぽいが「辺境論」にこれを絡めると一寸違和感あり。第4章の日本語論も同様。ネットのブログで読むと独立のトピックスで面白いが、この4章仕立ては無理あり。燈刻、ニコ/\動画で昨日の都知事選4候補者ネット討論眺める。出馬したい「個人」ばかり。政党内で候補者絞られるやうな競争経てない分、政策等も何だか禅問答の如し。強いていへば宇都宮が何の分野でもきちんと自らの提案と知識、経験など持つてゐるが反体制票は細川との取り合ひで票数的には細川に流れ、結果的に舛添の勝ちか(さらに投票日直前に小泉の策あり、と週刊誌は騒ぐが)。田母神の政策とてなか/\現実的なものもあり、だがあれだけ原発にも自信あるなら地元福島で知事選に出るべき。これでは誰も選べないのが本音。ところで田母神や舛添が五輪での「お・も・て・な・し」宣ふが旅行中に現地人に好意的な持てなし受けることなど日本に限つたことに非ず。たゞそれがスンタード的なのが日本の特徴なだけ。英語が通じるか、Wi-Fi環境整つてゐるか、なら香港やシンガポールなど除いてもマレーシアやタイや越南の観光都市など日本よりずっとマシ。むしろ買物でメンバーカード作りますか?と言はれ外国からだと(日本人ですら!国内住所がないと)断れ空港のクレジットカード上客相手のラウンジが使へず、さうした「日本人の気づかない」不便ばかりで何が「おもてなし」か、と嗤ふばかり。かつての「浮浪者のほったて小屋」も今では ホームレスの「脱法ハウス」といふことを宇都宮のコメントで知る。四人の討論も何だか何も生まれさうになく詰らないのでマック赤坂候補政見放送看る。過ごすぎ。晩に酒粕使つた鶏肉と野菜のシチュー啜る。
▼都新聞のドナルド=キーン東京下町日記(二月二日)。荷風散人を市川に訪れた懐古談から荷風の「よどみのない清流のような日本語」の素晴らしさ、と。いくつか荷風散人の録音聞いたことあるが、当時の東都の闊達な、弁舌滑らかな御仁並み、役者や噺家など淀みない話し手は少なからずゐたと思ふのだが。また権力に与しない姿勢を断腸亭日乗から読み取るキーン先生だが(これは他の文学者も同じやうに言ふが)「特高が近寄らなかったことを幸いに、荷風は軍部批判を繰り返した」って当時、公開してをらぬどころか知己にもその日記の存在すら言はぬ私家版の日記なのだから何を書こうが自由。因に断腸亭日剰に先立つ「永井荷風日記」(東都書房)の公開は戦後、昭和三十二年。しかも、この日記(文学作品)は当時の軍部批判などかなり削除してゐる。今の特定秘密保護法に「今、荷風が行きていたら間違いなく反対しただろう」とキーン先生結ぶが果たしてさうかしら。賛成はせぬが無視を決め込んだ鴨。
▼同じ都新聞で内山節先生の連載(時代を読む)。民主主義は不完全にしか機能しないこと。地方自治ならまだしも国のやうな大きな組織になると代議制になる民主主義はしば/\多数派の横暴を生む。選ばれた者に与へる全権。この不完全なシステムへの対応として内山先生挙げるのが制度としては「できるだけ小さな単位に決定権を異常していくこと」と住民投票の活用。だが今の制度でなら、どうすればいゝのか。先ず、国政の問題を地方の課題として考へること。原発、基地、TPPなど国の政策を地方の課題に下とす。そしてもう一つ(これが白眉だが)選挙は「自分たちの代表を選ぶものではなく、むしろ自分たちの拒否権を行使すること」に意味がある、と。政府の暴走に「ノー」といふ意思つきつける機会。権力の手足を縛ること。拒否権行使としての投票、デモや集会など直接の意思表明、国の問題を地方、自らの問題として考へ直すこと。御意。


日本辺境論(新潮新書)

日本辺境論(新潮新書)