富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

888ナンバー

fookpaktsuen2014-01-27

農暦十二月廿七日。香港で自動車ナンバーもラッキーナンバーは3(生)や7、8(發)、9(久)などいくつかあるが、何といつても人気は8となる。888なんて最高のナンバーだが、これの持ち主の資産家は倹約家で有名。ベンツやロールスロイスなら「さもありなむ」だが、この888ナンバーの長者のお車はホンダの小型車。それも持ち主が老齢で介護の必要から、この車種になつたわけで、数年前までスズキの日本なら「軽」だつたことの白眉なり。早晩にZ嬢と太古城の板長寿司。注文がタブレット端末になつてゐて何だかやはり味けなし。寿司に疎き店員に今日あるネタ、開業中に売り切れのネタのあれこれおと教へるやりタブレット端末でオンタイムの方が店の運営上は樂なのだらうが、なんだか味気なく食べた気もせず近所のパン屋で菓子パン購ひCityplazaの映画館で呉君如の映画『金鶏SSS』看る。香港の戦後の性風俗史描き予想以上のヒット『金鶏』の上映が2002年で、このヒットで続編『金鶏2』はSARS疫禍で気分沈む香港でヴァイタリティー溢れたが、あれから早十年。この作品は戦後の性風俗すつかりオンライン化する奇妙な展開を描くが、御下劣こそ前半のみ、で後半は刑務所から出てきた尖東夜総会華々しき時代のその筋の兄貴・ゴードン哥(張家輝)、金鶏とこの哥頓哥の、もはや時代から一歩退いた中年の二人の恋の安定ぶりがなか/\味がある。陳奕迅が演じる哥頓哥の弟分・Jacky仔がトリックスター的。

Jacky仔的角色說明時移勢易,要生存便要妥協,再無立場可言。哥頓哥因為執着過去,對於他手下的立場含糊感到迷惘,但無論你如何懷念昔日風光,今天的世界變了樣已是鐵一般事實。此片令人懷念昔日香港只要靠雙手努力便能賺到錢的時代,今天只有一片虛浮,一切流於表面,互聯網高登世界的虛浮,WhatsApp泛濫令人不用再面對面溝通,一人可擁多個暱稱,你已不知在跟誰對話;誰對誰錯誰是誰非已沒有絕對,因為社會再沒有明確立場,反正懂得做「世界仔」就是所謂最好的生存之道,騎牆派必定無事。整部片令人看到在香港各行各業的顧客也是內地人為主,香港精神從過去奮發自強變成今天為內地服務才是王道。這一切都令人懷念香港人昔日之拚搏精神,昔日的金雞有着無限希望,今日的金雞只剩無限唏噓。(廿八日・信報の心雨「光輝歲月終極懷念」)

今日は一日に映画二本見るなんて何年ぶりかしら、でLee Daniels監督の“The Butler ”見る。「大統領の執事の涙」って邦題は相変らずセンス悪い。物語はもつと白宮の内幕物か、と思つてゐたが確かにアイゼンハワーJFK、ジョンソン、ニクソン、(フォードとカーター飛ばされ)レーガンまで大統領も個性的に描かれるが、もつと社会的に公民権運動の歴史そのもの。かといつて黒人=正義で白人=悪といつたステレオタイプではなく白人にも理想的なJFKから同情的なやうでやつぱり理解しきれてゐないレーガン、南部の保守的な黒人蔑視まであるのと同様に黒人にもForest Whitaker演じる主人公のバトラーのやうな穏健派から息子で一旦は黒人差別撤廃過激派に与する息子、ベトナムに派兵されて命失ふ次男までさまざまな生き方があり、しかも黒人社会の中にも存在する階層など、さうした人間模様が重層的に描かれてゐることの妙。
NHK新会長舌禍。「あゝいふ場は初めてだつたのでルールを弁へてゐなかつたことは私の不徳の致すところ」って物産の副社長までやつた古希迎へた者だと思ふと呆れて言葉もなし。官房長官菅某も「会長としての発言と個人としての発言の整理がついてゐなかつたのだらう」「会長としての発言なら取り消すと言はれたので問題ない」だの記者会見が「最初だから戸惑つたのだらう」と弁解もお子ちゃま社会。都新聞で桂圭一君(東大元教授、ジャーナリズム論)が

就任の記者会見は公人として会長としての所感披露する場。記者は趣味の質問をしてゐるのではなく会長がどのような物の考へ方かを聞いてゐるのであつて個人としての発言はあり得ない。

と。慰安婦問題など百歩譲って個人的見解としても、と桂先生指摘するは「政府が右といつてるものを左とは言へない」との発言は到底「個人の発言とは思へず」と。御意。金澤のH君曰く「政府が右といつてるものを左とは言へない」でも「政府が左といふものを左と認める覚悟はない」わけで、それでも「政府が左といつてゐるものを右となら言へる」か、この連中は。