富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2014-01-05

農暦十二月初五。晴れ。明日の月曜から邦人の世の中も本格的に正月明けだらうから日曜の今日のうちに急ぎの仕事済ます。午後は書室に籠る。昨秋に某ホテルの知己の総支配人から「うちの中華のレストランのメニューを日本語にしたいのだけど誰か翻訳やってくれる人を知らないか?」と尋ねられ、つい「それくらゐアタシがやってあげるよ」と言つてしまひ担当者から送られてきたメニューといつたら前菜から魚、鳥、肉料理、魚翅、鮑に煲仔、羹湯から飯麺、デザートまでまぁ百を優に越へる品目で中華なので而も解釈に面倒な金銀ナントカとか發財物、大良から台山、福建と地名もつき、頼まれてから気がついたら一ヶ月も経つてゐて、さすがに年越しはまずい、と慌てゝ本格的に始めると半日を要す。予め彼らに提案したのは無理矢理下手な日本語の料理名付けるより寧ろ素材と調理法などわかりやすく説明するほうが客に親切といふこと。自分でも全く誤解してゐた食材や英語のこの表現があれか、といふ驚きも少なからず。晩に陋宅で韮と大根おろしの鍋で豚肉煮て飰す。
▼都新聞でドナルド=キーン先生の東京下町日記が「歌手の沢田研二が……」といふ書き出しで日本通のキーン先生もポップスには疎くジュリー知らずだつたがジュリーが還暦迎へた6年前に「我が窮状」と護憲歌つたことから書き始めキーン先生の二度死にかけた戦争の記憶から晋三の政治、特定機密保護法など昨年の「失望の年」を語り「今年は一転して私が沢田に「心配ご無用」と一句返せる年にしたい」と。
▼ふだんあまり読まない株屋、相場師の新聞「日経」だが元旦から「私の履歴書」で小澤征爾が始まり殆ど知つてゐるセイジ=オザワの半生記だが面白く連日読む。今日(第4回)は隣りに馬場あき子女史の「餅、そして虫のこと」といふ随筆がこれも素敵。今日の日経は面白い記事少なからず。「日曜に考える」で熱風の日本史(第19回)は大阪万博「未来都市へ“民族大移動”」語るに大阪万博で明治以降の近代〜現代は全く展示がなく先の戦争は「なかったこと」扱ひ、地方自治体の原爆や戦争に関する展示は当事者に無断で勝手に展示内容撤去された、と。万博の怖さ。「幻の万博」となつた1940年だが、そのときの入場券保持者は30年後の大阪で入場券の引き換へあつた、とは知らず。もう一つ、エマニュエル=トッド先生のインタビュー記事も秀逸(内緒でこちら)。「ロシアと同様に中国は兄弟内での平等を重んじ、その家族観が共産主義革命を可能にした」「中国は世界の工場で、国の行方を決めるのは国内の特権階級と西側の資本家だ」「中国共産党はロデオで荒馬に食らいつくカーボーイに見える」といつもながら視点が面白いトッド先生。EUの話で「ドイツ人は魅力的だが彼らの問題は能率が良すぎること」といふ一言に笑ふ。
▼日経の一面で「リアルの逆襲」といふ連載記事。今日(第4回)で「侵される創作活動 人工知能は狂えるか」といふテーマで、これについては筒井康隆先生が笑犬樓の日記で年末にどれだけ取材が大変だつたか、と書かれてゐたが記事は

人工知能は創作活動でも人間に取って代わるのか。「小説の主人公は作者の第2の自己」と語るSF出身の作家、筒井康隆(79)は否定的だ。「狂った主人公を書くには、コンピューターを狂わせなければいけない。センスのある狂わせ方はコンピューターにはできない」と一笑に付した。

と数行で済んでしまひ「えっ?」といふ感じ(こちら)。確かにネット版には長いインタビュー掲載されてゐるが(こちら)新聞はあくまで紙媒体だと思ふと(さう思ひたい)も少し本紙で筒井語りを読ませるべきではないかしら。