富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

運動会と万国旗

fookpaktsuen2013-10-20

農暦九月十六日。昼前に筲箕灣。気温は摂氏27.4度、湿度51%でけして汗だくではないが暑い。十月下旬だよ。『飲食男女』誌が筲箕灣特集だつたか人気の飲食店は普段より客多い感じ。東大街で街頭に待客溢れる安利魚蛋粉麺を尻目に阿一豬扒酸辣米綫。街市で食材購ふ。夕方、日ざし弱まるの待ち小一時間ジョギング。晩に麻婆那須と筲箕灣の「唐氏豆腐」の豆腐で冷奴。この豆腐とても美味。昨晩は餃子頬張るのに夢中で夜空も見上げなかつたがこんな赤月だつた由。
皇后陛下御年七十九のお誕生日にあたりマスコミの質問にご回答。

五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治二十二年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、二百四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四十数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た十九世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。

と、かなりぎり/\のところまで踏み込んでの憲法への言及。間接的な意思表明としていつもながら絶妙な見事さ。憲法立憲主義に基づき国民の象徴として忠実にお勤めされる天皇、そして皇后こそ平成日本の平和のための最大の抑止力。ところで皇后陛下のこのお言葉伝へる朝日新聞の記事、皇后の写真のキャプションに「御所内回廊で過ごす皇后さま」って……これ、誕生日のプレス用に宮内庁が和装で皇后陛下に回廊に出てもらひ写真撮影したわけで「過ごす」の表現が適切か。「過ごす」は「日を送る。生活する。暮す」(広辞苑)で確かに「時間を経過させる」意もあるが実際に生活してゐない場所にしても宮殿の広間ならまだしも回廊は回廊。通り抜ける場所に過ぎず写真と天皇と一緒に歩く映像撮影だけのお立ち会ひだと思ふと「過ごす」ではないはず。
▼テレビほどんど見ないのでテレビ局が増えるとか個人的に興味ないのだが民放テレビ局開設不許可抗議で数万人規模の市民デモあり。本当に香港の遊行=デモは文化。テレビ局開設許認可で開局準備万端、メディア系富豪の王維基氏がHK$9億だか投資して三百名以上のスタッフ雇用し番組まで制作開始してゐた香港電視に認可おりず、その不透明な政府判断に抗議デモ。在来のTVBとATVに加えPCCWiTV)とCable TVの2社のみ認可。政府(行政会議)での黒箱作業で何があつたのか、どうせ中共の圧力。王維基は数年前に民放二社独占で振るわぬ方のATV買収し「中央電視台第10台にはならない」といつた発言が中共の神経に触れATVは中共系資本に買収されたが王維基がテレビ局開設に執着しテレビの場合、電波は港深境界越へ広東省でも広く見られてゐるので中共的には新聞でいへば反中共色濃厚の蘋果日報ほどでなくとも「自由な言論」は望ましくないところかしら。
▼運動会の季節。香港でも日本人学校三校の運動会周末に開催されるが水戸の畏友J君が子息の運動会でふと万国旗を眺めたらソ連の国旗などもあつた由。ドラマ「あまちゃん」でも同じ光景あつたとか。J君曰く、万国旗=国際的な雰囲気だが「なぜ運動会で万国旗なのか?」はスポーツの祭典=オリムピックのやうだが明治時代の運動会ですでに万国旗登場してをり日本の五輪初参加がストックホルム大会は大正元年。J君想像するに運動会自体が明治7(1874)年に海軍兵学寮(のちの兵学校)が始まりで、海軍艦艇の信号旗や国旗を使ふ「満艦飾」にその起源あるのかも、と。確かに、この運動会は多分に戦がらみの行事で、もと/\は国民の健やかな成長を権力体制の偉ひ人たちにご覧にいれるためのもの、そこで海軍なら威勢良く満旗飾なら「成る程」で、さういふ地域の要人始め一族郎党鳩まるのだから台湾の霧社で日本人の運動会襲はれたのも頷けるところ。実はガラパゴス的に特化した「日本だけ」の運動会に万国旗といふのが余りにも逆説的。運動会といへばアタシが気持ち悪いのは、あの「ソラーン節」。ドラマ金八先生で注目されパラ/\などブームもあつてか全国をソーラン節が席巻。ソーラン節ファッショ。「ラジオ体操」は1920年代に、まさに近代国家の健全なる国民育成で始まつたのが起源で同じ時間にラジオに合わせ国民が各地で一斉に体操するのが原武史的に興味深いが(なんて恐ろしい国民活動……)、平成のソーラン節の場合、国家の養成でなく民草が自主的に広めてゐるのだから。学校がこれに加担する点が更に怖い。このソーラン節と地方食「恵方巻」の普及ご勘弁願いたし、と嘆くJ君「地域文化とか何とか仰る方々が(ソーラン節を)慫慂として受け入れる」と。ちなみに郷里水戸の小学校が今だに「黄門ばばやし」と「ごきげん水戸さん」をば運動会に披露してゐるのだとか。いずれも典型的な戦後のご当地ソングで、アッパラパーに明るい戦後の歌だが前者(橋幸夫)が黄門漫遊記のフィクションなのに対して後者(春日八郎、大月みやこ)のほうがリアルで地元的。