農暦九月十五日。周末続く学校施設の歴史見学。今日は香港仔工業学校。Z嬢と路線バスで香港仔黄竹坑。1935年に香港仔児童工芸院として建立され文字通り児童らに工業的手工学ばせる香港で初めての職能学校。日本軍占領期は水上飛行機基地として利用され戦後、1959年に現在の工業学校に。工業学校でありながらカソリックの学校で宗教色も濃厚、校内に教会や小さな修道施設あるのも珍しいところ。学校の旧楼はアールデコの風格ある建物で主楼は典型的なモダニズム建築。狭い敷地に直線的な建物見事に組み込まれカソリック的な古典主義とモダニズムの混成が実に興味深い建物。この黄竹坑一帯、軽工業の製造業入居するビル立ち並ぶ埃っぽい地区で、こゝに工業学校出来たのもわかり易いが、この学校がカソリックであるやうに近くの崖に古い教会施設の土台残つてゐたり昔は鄙びた宗教区だつた様。路線バスで華富団地。香港では早い時期の近代的公共団地だが建物の老朽化進みかなり大規模な改修工事続き風景もかなり変はるなか華富閣戯院=香江大劇院(Hong Kong Opera House)だけは閉鎖されたまゝ。此処がかつて大大百貨公司なるデパートだつた、と知己のS君の話。銀都冰室で早めの昼餉。西多士(フレンチトースト)やオムレツなど飰す。路線バスで薄扶林邨。香港でも少なくなつたバラックそのまゝ密集の村。歴史的価値まで指摘されるやうになり再開発されるのかしら*1。迷路のやうな路地を村のなか徘徊。路線バスで香港大学近く。西營盤から上環まで主に乾物、食材購ひつゝ散歩。正隆行で落花生や乾果物。九龍醤油で辣韮と食油。オリンピアグラエコ埃及珈琲。日ざし厳しく日傘重宝。一旦帰宅してから夕方、ワイン仕入れとユニクロ、MUJIで肌着など寒さ支度。盤に昨日購つた民豐粉麺行の餃子飰す。生まれて初めて餃子で赤葡萄酒。智利のLos Vascosを合わせたが予想以上にイケる。
▼李怡先生の主張が最近、だん/\陳雲的本土派の色彩あり。一昨日、环球时报が宣ふ「「香港舆论应更多尊重内地人」取り上げたが李怡先生曰く
我們還真希望回到「沒力氣罵」的歲月。在專權政治下生活,與在法治社會下生活,最大的區別就是前者不能由自己主宰自己命運,後者則是在法律保護下樣樣靠自己;前者號稱分配平等實際上是由特權造就「有些人比其他人更平等」,後者則是法治下的機會平等。「老中國人」懂得珍惜香港的機會平等,「新中國人」就大不同了。他們習慣了依靠權力才能生存及獲利,尤其在過去30多年的權貴資本主義熏陶下更把人生的價值全部寄放於金錢與權力,有權有錢就「大晒」,不會尊重他人的自由和權利,更不會尊重無形的普世價值觀。他們離開極權社會,口頭會罵中共專制,但來香港後卻仍想依附中共極權以圖利。香港近年的所有問題,所有爭拗,無不與這種「新中國人」來港自由行或定居對香港的侵蝕有關。因此,由過去的「老香港人」及其下一代組成的香港社會,尤其是愛護香港核心價值的新生代,想遏制「新香港人」的湧入,從「源頭減人」奪回「新中國人」移居香港的審批權。陳雲發文指現時的大陸移民不是新移民而是新殖民,因為這些「新香港人」認為自己來自強國,「處於文化強勢,不願意接受香港文化,甚至要改變香港文化,要香港人講北方話遷就他們。」
當然,「新中國人」也並非都是仗勢欺人有強國味的,正如老香港人中也有梁振英與陳茂波一樣。只是就整體而言,「新中國人」由大陸政府單方面批核湧入,確實是香港近年禍患的根由。這是客觀存在的現實,與歧視無關。香港市民倘不群起反殖民,將無可能擺脫滅頂沉淪。
と。もはや香港の大陸反感はどうしようしようもなし。
▼「英語OKの救急隊 東京都来春にも新設 外国人向け医療強化」と日経の記事。 「日本語に不慣れな外国人の救急搬送に即応する「英語対応救急隊」(仮称)新設。2020年東京五輪開催、外資系企業誘致など国際的な都市間競争を見据へたものといふ。英語能力テスト高得点者らを1チームに1人以上置き初年度は13チーム編成、3年後に約3倍に増強とか。そんな特務養成よか救急隊員全員にpain, headache, heart attack, vomiting, dizzinessやdiarrheaなど一般的な英語ならぬ英単語覚へさせることが大事。誰も東京で救急隊員に"My blood oxygen level is decreasing because some complications related to myocardial infarction and aneurysm tumor"なんて六ツかしい話しないのだから。
▼香港といふと卡拉OK盛んな印象強いが20年経営続けた卡拉OK店賃貸料高騰で閉業。卡拉OK店、ゲームセンターなどハンディゲーム機やスマフォの影響で今後もマーケット縮小は決定的。それにも関はる話だが無料タブロイド紙『爽報』週明けで停刊の由。発行元のNext Media社は無料タブロイド紙に参入で元々の『蘋果日報』も遅かれ早かれ無くなるか、と思つてゐたら爽報が不振つまり広告収入見合わず廃刊に。「讀者轉用手機看新聞的步伐太快,免費報章終不敵」と担当役員の弁。毎朝、無料紙が何紙も配られるのを見てゐると爽報は他より人気あるやうに思へるが。勿論、蘋果と爽報にはその反体制、反中共、反李嘉誠的な姿勢で大手の広告主が蘋果敬遠という広告収入事情もあり。