富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

死は生者の解釈を拒む。

fookpaktsuen2013-10-18

農暦九月十四日。昨晩は十二時ころ寝たのだが朝四時過ぎに目覚めてしまふ。青森K氏の話では睡眠も体力が要る行為で老いると眠り浅く朝も早く起きてしまふのは体力が衰へてゐるから、と。確かに若い時分あれだけ寝てゐられたのは体力あつてこそ。昔、中共の話で周恩来生が夜遅くまで弁公室の灯りは消えず早朝からまた執務で、四時間睡眠で国家の困難に激務続けた、と伝説で聞き「立派な方だ」と感心したが周恩来が大人物なのは当然としても四時間で起きてしまふ部分は自分がその年となりつく/\よくわかる。早晩に遥々荃湾でZ嬢と待ち合せ。無償に餃子飰したかつたが荃湾に識る餃子屋もなし。街市街(面白い通りの名「街市」のある「街路」で街市街)で馳名の民豐粉麺行にて外賣(テイクアウト)専門ゆゑ餃子購ひ、まさか公園で煮炊きも出来ず持ち帰り。久々に荃興徑の山西刀削麺に往つたのだが店の雰囲気がそこはかとなくいぜんとはことなる。店名が正宗山西刀削麺店 で「正宗」と冠がついてゐて、往々にしてかういふ場合は暖簾分け、か喧嘩別れの場合ありネットで調べると近く(沙咀道)に正宗山西刀削麺皇なる見世あり、こちらの方が評判。また次回是非。夜空晴れ若者が蹴球に遊ぶ空に見事な十四夜の月。荃湾会堂。西蔵のWanma Jiancuo(萬瑪尖措)なる舞踏家主宰するWanma Dance Troupe(萬瑪舞蹈劇團)の香巴拉(ShamBhaLa=Shangri-la)なる舞踏見る。西蔵思想に基づく生死感たつぷり。舞台に色砂で曼荼羅描くのが妙。
朝日新聞のオピニオン欄で「安倍さんという気分」石田英敬教授(東大、記号学・メディア論)秀逸。アベノミクスにつき「成功するか失敗するか誰にもわからない大きな実験です。実験することには賛成反対の立場の選択があり得ますが、開始されてしまったら否も応もない。失敗させるわけにはいかないから、経済界や経済紙といった経済アクターたちは成功に向けて動くしかありません」と明晰。「いまや一種の情報戦です。何につけてもアベノミクス効果を謳い、称賛し、人々の景気回復への期待をどんどん膨らませればいい。それが実際に株価上昇という現実をつくり出し、さらなる期待を醸成する。この「期待の螺旋」が安倍政権の人気の資本」。それが「期待の螺旋の裏側は「期待をしぼませるようなネガティブなことは言ってはいけない」という「沈黙の螺旋」で出来ています。裸の王様よろしく「安倍さんは裸だ」と気づいたとしても誰も自分からは言い出せない。期待と沈黙で両側から支えられた政権が安定するのは当然です。当否や持続性への疑念を棚上げすれば、仕掛けは見事と言うよりほかありません」。この一億総晋三モードに巻き込まれぬのは福島の漁民のやうに現場とつながつてゐる当事者か、海外から日本を見ている人ばかりで、マスコミに権力監視機能が弱つてゐることことを「従来型のマスコミ批判」しているだけでは実相はつかめぬ、と石田先生。こゝからが石田先生は「メモリーの問題」を語る。

注意力と言った方がわかりやすいかもしれませんね。パソコンの一画面にディスプレーできる情報量が限られているように人間の注意力も有限です。新聞が最大の情報源だった時代は翌日の朝刊がくるまでは『現在』が固定されるので注意力を傾け思考を深めることができた。ところがテレビさらにはインターネット、SNSの時代になると『現在』が頻繁に更新されるため注意力が分散されて深く思考できません。その上、新しい情報を入れるために古い記憶はどんどん消去されていく。いまやメディアは出来事を人々に認識させる伝達装置であると同時に片っ端から忘れさせていく忘却装置となっているのです。

と。これは成る程。「このような状況の中で、人気を得たい政治家は、より新奇なことを言って常に話題の周辺にいるという戦略をとるようになる。橋下市長はその典型です。言葉は人気競争に勝つための道具に堕し受け手の側もネタとして消費したらすぐに忘れるので政治家の発言がコロコロ変わっても問題視されない。これが現代のポピュリズムのかたちです」。

代議制民主主義を成り立たせてきた条件がどんどん摩滅しています。代議制民主主義には『遅れ』が不可欠です。代表を選ぶための時間、意思決定までの討議のプロセス、決定が実行され成果を出すまでの時間。その時間的な遅れが私たちの政治的判断力を養うのです。しかし現代の情報社会はこうした遅れを許しません。政治家も選挙民もマスコミも情報の洪水の中で注意力が分散し長い射程をもった政治的判断力を培うことも大きな文脈に位置づけて物事を考えることもできなくなっている。いい悪いではなく、情報社会の端的な結果です。

毎日新聞の論点「国のために死ぬこと」も面白い。立命館の高橋秀寿先生が近代的な国民国家成立したから戦没者追悼が国家儀礼となつたことの話から始まる。「会ったことも、見たこともない夥しい数の人間を同じ国民(これは国家だらう:富柏村)に属していると感じる近代的な想像力」より「国民」概念が形成され、軍隊も主権者である国民に属し「無名戦士」のやうな会ったこともない死者に感謝と追悼捧げる儀礼や感覚の成立(これはそれまでに無かったもの)。独逸が猶太人などナチズム被害の死者にまで追悼が拡大したのはナショナリズム超えた部分であるが今日、戦没者追悼が再び政治的問題となつてゐるのも国民国家体制が大きく変動しているから、と高橋先生。戦没者追悼を自然なもの、と決めてかゝるにも国民国家が時代遅れ、むしろ追悼すべき戦没者を大量に生んだ国民国家じたいを問題にすべき、と。続いて今井昭彦先生(群馬県立女子大)が今では戦没者靖国と私たちはイメージが単一的だが、戦前はさう簡単でもなく、まず死が家、郷里でなく遠征での戦没であれば横死であるが軍や国が戦死者を家から国家による顕彰に引き離し、また地元出身の戦没者は各地の忠魂碑や護国神社でも祀られる。これが神道的に霊の世界なら陸軍は戦没者の遺骨にこだわりあり墓的な忠霊塔建立が盛んで、こちらは神よりも佛で、靖国頂点とした神式の国家の祭祀体系からの逸脱あり。そこで戦前には忠霊塔建設巡り推進派の陸軍省、仏教界と極力規制したい内務省、神社界の対立あつた、と今井先生。で三番目に「三田文学若松英輔編集長が「英霊」について説く。まず死は個に基づき「国家のため」といふ枠組に収まらぬこと。人格は万人に生来的に付与されてをり政治的見解を超越し「人格の尊厳は死者においても守られなければならない」「尊厳は法に先立つ」と仰る通り。そして「英霊」は本来「優れた人物と畏怖を感じさせる霊魂、霊気」のことで唐代にも詩文で用ひられてゐるが、主として「生者の様子を示す言葉」。例えば中村歌右衛門の芝居など拝むときに感じる、役者のあれが英霊か。或は今上天皇皇后陛下のあれ。それが戦争を繰り返す近代日本で無名の戦没者が「英霊」に祭り上げられたもの。「死は、生者の認識、生者の価値観には決して還元され得ない。死は生者の解釈を拒む。死は死者固有の経験である」と若松編集長。御意。