富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

堺市長選挙「維新」敗北

fookpaktsuen2013-09-29

農暦八月廿五日。せめてもの自分へのノルマ、とヴィクトリアハーバー沿岸を小一時間走る。いつも曲がる角あるのだが偶然に子連れの知己K氏に遭遇、何だか曲がれず真っ直ぐ鰂魚涌の方に直進してしまひ、その所為(おかげ?)でいつもより0.5kmほど余計に走るハメに。見栄ほど馬鹿/\しいものなし。昼に即席のマルちゃん正麺味噌味飰す。確かに美味。ランニングのご褒美に昼からPimm's、生姜ワインをソーダ割り。午睡。Z嬢と湾仔。今朝、居間のブライドの紐が切れ、取り外してみると2003年の入居以前からのブライド老朽化も著しく湾仔の家具街のカーテン屋で新規注文。国慶節連休で大陸のメーカーの対応見えず十日ほどの猶予請はれる。閉業間近のInn Side Outに麦酒飲む。感じいつも以上に混雑。たゞ喫煙可のテラス待ち客か横の扉から店内に入るとカウンターがら空き。キリン一番搾りのフローズンクリーム盛り初めて飲む。偶然隣りに居合せた日本人の若者二人の会話を聞くに日本の同じ麦酒のクリーミーさに比べると雲泥の差の由。キリンの専売特許の筈が他のどの麦酒でもフローズンクリーム盛つてゐる(笑)。夕立に見舞はれLeighton Rd渡りラーメン Joなるラーメン屋。昼も夜もラーメン。帰宅してニュース速報見ると堺市長選挙は開票も始まらぬうちに現職市長当選確実。天晴れ。市長曰く「堺の市民と維新の会の戦いだった」と。いつから維新て市民の敵になつてゐたのかしら。化けの皮が剥がれたか……と驚きもせぬが、この市長自身一期目は維新で当選、一時であれ維新支持したの堺市民も少なからず、といふ事実を肝に銘じるべき。時としてあれほど呟板に旺盛な橋下も維新敗北で昨晩より呟板に書込みもなし。
▼朝日読書欄「伊勢と出雲 国家神道とともに序列付け」原武史 伊勢神宮式年遷宮は廿年おきに七世紀後半から始まり千三百年以上にわたり続いてきたとされ「伊勢神宮の建築は中国大陸の影響を受ける前の日本的な建築形式が保たれ歳月に伴う変化を免れてきた」と言はれてきたが、これも後世のかなり演出があるやうで井上章一著『伊勢神宮と日本美』が「こうした言説が江戸時代から戦後まで如何にして形成されてきたかを徹底的に論じることで、その背後に見え隠れするイデオロギーや学閥の違いに起因する権力を暴いてみせる」さうな。伊勢信仰が古来からあつたのは事実として国家神道のお社として「伊勢」はやはりイメージがかなり増長され造られたものであること認識しておくべき。
▼話は旧聞に属すが中共外交部の特派員公署が廿四日、駐香港の各国総領事や代表など招き午餐會開催(蘋果日報)。50名ほどの招待者のなかで数ヶ月前に着任後、香港の普選実施など民主化に言及の米国総領事Clifford Hart(夏千福)冷遇、三列目=最後列に追いやられ英国総領事は二列目中央寄り、一列目はフィンランド、スイス、オーストリアやインド等。ちなみに記事になつておらぬが日本の総領事(野田大使)も米国の隣で現時点では中共からの日本の扱ひはかうしたものか。まぁこの記念撮影のお立ち台ぢたい「見せかけ」のもので、これがこのまゝ中共の対外政策か、と思つたら間違ひだが。
▼「第二次移民潮開始了?」と信報(廿五日)で劉健威兄が知己二人のエリートが1997年前に移民ののち香港に戻つたが、また再び移民を検討中、と。原因は「忍受不了梁振英政府,忍受不了吵吵鬧鬧的政治現狀」では頷くばかり。健威兄嘆く通り「梁振英上場的合法性成疑,故認受性有問題,連帶政府也無威信可言;反對派有破壞無建設,民粹聲音愈來愈大;而中央有形無形之手無處不在,港人治港漸成空言……」と他に言ひやう無し。