富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

広州小巷漫歩

fookpaktsuen2013-08-18

陰暦七月十二日。朝食で十八甫路に粥啜り旅寓に戻り昼すぎまで読書。大雨。バルコニーから雨空眺めるのも亦た風情あり。昼過ぎ退房。幸はひ微雨となり清平市場近くの餃子屋に飰す。最近は広州に来るといつも用事も泊まりも天河、珠江新城あたりばかりで旧市街に来ることもなく今回は泊まりは沙面とし(沙面といへば白天鵝賓館だが大規模改装で休業中)そのあたり散策と決め込んだわけで午後からは歩行者天国の上下九歩行街は当然避けてZ嬢に誘なわれ(第十甫路までは人混みひどいが、その西の)思寧路から龍津西路を茘湾湖公園まで漫歩。古くからの商街でアーケード連なり立派な店構への店舗並ぶ様かつての廣府の繁栄と財力を物語る。清末から中華民国建国のころにかけ中国の鉄路敷設に尽力し「中国鉄道の父」と称される詹天佑(1861〜1919)の故居見学。1910年には広東省粤漢鉄路総公司総理。鉄道といへば台風余波で昨日の大雨は広東省北部で土砂災害ひどく殊に鉄道は大動脈の北京〜広州結ぶ京広線が韶關から北、広東から湖南への南嶺山脈の山越へで土砂崩れもあり不通。広州で北への玄関口広州站かなり混乱の由。思寧路で丁度来た2系統のバス錦城花園往きに乗る。シングルナンバーなのでヘンなところに行かないだらう、といふ安易な判断は間違つておらず人民路北上して東風路を中山記念堂から東への王道コース。東風大酒店で下車して東山湖畔まで道のりで3kmほど歩き新河浦路。水路の向かふ岸は中共の党省委で立入り禁止。この新河浦路の春園は1923年に中共の第3回全国代表大会開かれた洋館で午後五時半の閉館間際に館内見学。陳独秀が党率ゐ毛沢東がまだ一代表であつた平和な時代(ちなみに毛沢東の居室は地上階の一室で陳独秀は二階のバルコニーつきの部屋)。周囲は1920年代に広州で成功した財界人の邸宅が並びレンガ造りのなかに二〇世紀のモダニズム黎明期思はせる洗練されたコンクリート建築もあり。文革中にさうした資本家階級の家々がだう扱はれたのか、そして今それを所有する人たちが誰なのか、もかなり気になるが省委に近き建物はかなりの数が中共の省幹部の官舎で借り上げのやう。このあたり珠江に近いがかなり高低差あり培正中学まで坂上り。地下鉄1号線に東山口といふ站あり、ずっと東-山口だと思つてゐたが東山-口で培正中学のあたりの丘陵が東山で、その坂下が東山-口。東山に立派な元国営百貨店まであり広州では渋谷でいへば松濤のやうな場所なのだ、と独り合点。今度は此処から始発のバスが1系統で、これが沙面の方に向かふので乗車。今日はバス運良し。ちなみに昨日も小洲村往復、今日も小一時間のバス乗車往復で片道は30円にも満たず、で冷房車。市街観光して六二三路で下車。夕餉の時間で飲食店並ぶ十八甫路の方に歩くが途中(杉木欄路)に早晩からかなり賑はふ料理屋あり「新浩文菜館」といふ趣味人的な?名前も気に入り此処に飰す。五味鵝なる料理が馳名。シナモンや八角など南洋的に香辛料を上手く使つた料理。旅寓に戻り荷物引き上げ黄沙より地下鉄で東站。晩九時半の香港往き直通列車に乗るのだが改札には一つ前の列車の掲示出たまゝで遅延か?と一瞬焦つたが最終列車は定刻で発車。南往きは豪雨の影響もなく時間通り香港に23時半前到着で安堵。タクシーで帰宅途中に東區走廊の高架道で前がほとんど見えないほどの集中豪雨に見舞はれる。が帰宅すると何事もなかつたかのやうな空。
▼今回の周末広州で驚いたのは市内の環境整備と緑化政策の徹底。郊外への都市開発はかなり殺伐としてゐたが幹線道路のロータリーなど緑地化進み旧市街も「緑路」と指定された街道、路地は街路樹が見事に繁り昼間でも陽光遮るほど。The Economistの先週号が巻頭で“The World's Most Polluter”と中国の環境汚染特集してゐたが記事“The East is grey”(こちら)では単に世界の自然環境破壊者としての中国ではなく何が出来、何がすでに改善に向かつてゐるか、をきちんと分析。また中国経済バブル崩壊も憂慮される今日々だが同紙今週号では“A bubble in pessimism”(こちら)で
China is no stranger to economic restructuring. Over the past decade, the share of workers in agriculture fell from half to about a third. Exports have fallen from 38% of GDP in 2007 to 26% last year, while services now contribute as much to the economy as industry. And this enormous shake-up of employment and production took place in an economy that was growing by about 10% a year. China’s economy can, it seems, evolve and expand at the same time.
と「中国なりの」経済成長と安定について言及。中国が急激な経済成長と大国化でまるで化け物のやうに言はれるが、けしてカオスではない点あることは客観的に掌握すべきこと。
▼十五日の信報が社説「日本戰敗未反省 東亞和平現陰霾」(こちら)で
可以說,日本二戰戰敗投降日,安倍雖然不到靖國神社參拜,但他領導的政府在應對中國崛起、亞太秩序變化所走的戰略路線,有把日本再度引入岐途之虞,也使東亞地區的和平與穩定受到戰後以來最大的威脅。
と指摘はその通りなのだが、日本のこの軍事化指摘する際に並行して中国の軍事的脅威については言及せず、ではあまりに片跛。信報ほどの新聞も日中関係となると中国寄りなのが、これがナショナリズムの怖いところ。