富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2013-08-03

農暦六月廿七日。今日も大雨に幾度も襲はれる。仕事済ませて午前中はFCCに往きカプチーノ一杯で新聞各紙、周末版まで大方目を通してしまふ。午後整体按摩。また仕事済ませ帰宅。早めの夕食にうどん煮て食し土曜晩も開業のT歯科。昨日、奥歯に銀かぶせるはずが義歯の高さが合はずT医師がかなり削つたが調整断念で明晩までに直させるから、と。そんな急ぎもできるのね、で上の最奥歯だから歯一本が銀でも見えないしエナメルより割安、でもHK$2,200で25,000円ほどかゝる。日本の健康保険で歯科治療は魅力的。それも晋三のTPPで米国の医療保険流入で壊滅的打撃になるのだらうが。今日は新聞も読み終はつたので珍しく新書一冊通読。肩凝らないやうに、と原武史先生の『鉄道ひとつばなし2』(講談社新書)。日本のいくつかの鉄道路線台北長春、大連、香港の鉄道や倫敦の地下鉄、巴里のメトロなど自分も乗つたことのある話は楽しい。それに東武線沿線のキッチンジローは小学校3年の時だつたか足立区梅田に当時住んでゐたS従兄の家に泊まりに行く際に上野まで迎へに来てくれた叔母が昼餉に寄つてくれたのが五反野駅のジローでミートボールの入つたスパゲッティミートソース食べた懐かしい思い出あり。原先生もかなり触発されたといふ宮脇俊三『時刻表2万キロ』が当時(1978年)2万キロ乗り尽くした時がまだ五十歳だつたとは……宮脇氏は見た目も文章もかなり老成してゐたが。原先生も書いてゐるが、この『2万キロ』の冒頭「鉄道の「時刻表」にも愛読者がいる。」の一言、これで「そうです!」と若いアタシもどれだけ宮脇鉄道本に共鳴したことか。原先生、自分はけして鉄道オタクではなく鉄道に関する記事を書くと何かにつけオタクに細々とした誤記の指摘受ける、とウンザリぶり書いてゐるがアタシも一つ指摘すれば「台北の「捷運」と平溪線」といふ文章で明らか誤解あり。

捷運(都市交通網のこと:富柏村註)の駅名には、台湾の歴史が反映されている。士林や明徳には中華帝国の一部だった時代の儒教の影響が、忠孝復興や忠孝新生には植民地時代の日本的道徳の名残が、民権西路や国父記念館、中正記念堂には孫文を国父とし、蒋介石を初代総統とする「中華民国」の歩みが、それぞれ濃厚にうかがえる。

と書かれてゐるが、士林は平埔族の言葉の音訳*1中華帝国の一部」はこの書き方からすると日本統治前の清あるいは明の時代のことかもしれないが明徳(路)は戦後の道路名。忠孝・復興・新生は「日本的道徳の名残」とされてゐるが日本統治時代、この一帯は今でこそ台北一の繁華街だが当時は台北城市の門外、東の野っ原、かりにそこに地名つけるなら「安達が原」だとかもつと和風にしたわけで、忠孝も四維八絀の一つ=中国的道徳、この3つとも中華民国が旧来の封建主義を打破して新しい文化、中華復興唱へた頃のキーワード、よつて民権路とこの4つを同じ「蒋介石統治時代」の政治的言語といふカテゴリーにすべき。これについては新刊『身体を躾ける政治 中国国民党の新生活運動』(深町英夫岩波書店)あたりが面白いかも。
▼晋三が内閣法制局長官集団的自衛権容認派の外務省駐仏大使(小松某)起用。自衛権の「解釈変更へ地ならし 安倍色人事で掌握」(朝日)。外務省出身は異例。この方は外務省内でも国連平和維持活動など日本の、自衛隊などによる国際貢献内閣法制局の九条見解が足枷になつてゐると考へる外交官のお一人の由。防衛省幹部ですら晋三の集団的自衛権への執着に「普通の軍隊を持つまともな国になりたい、という理念が先行している。中国や北朝鮮にどう対応するかという目下の課題にもっと集中してほしい」といふ声すらあるといふ(同記事)。では俎上に乗せられた内閣法制局自身はどう考えてゐるのか、と思つたら都新聞に内閣法制局の元長官坂田雅裕氏(大蔵省出身)のコメントあり。

憲法や法令の解釈は論理の世界で人が好き放題に解釈できるものではない。
ましてや憲法九条は政府が五十年にわたり論理として何が正しいか考え続け結論を出した。憲法解釈は内閣としての見解だ。内閣法制局の長官が交代したからといって見解が好きに変わるものではないし、もしそうなら法治国家ではあり得ない。
法律は書いてあることがすべて。内閣法制局は技術的な役人組織で理屈だけで勝負してきた。論理の世界で、政治的判断が加わる余地はない。だからこそ、その見解が信頼され評価されてきた。
内閣法制局長官が時の政権によって解釈を変更できるなら企業のお抱え弁護士と変わらない。
自衛隊が地球の反対側まで行って戦闘行為に加わることができるようにしたいなら、改憲してからだ。自衛隊員に犠牲者を出し、他国民を殺傷する覚悟が国民にあるのか。それを確かめず一内閣の判断で解釈を変更することはあり得ない。もし、やるなら政権も相当の覚悟が必要だ。

それにしても内閣法制局として「当たり前」の理知的なこと述べてゐるだけなのに、これがなんて立派、勇気ある発言とすら思へる当世このファッショの時代。
参院副議長選誤投票の廉で又市、糸数両議員に自民党懲罰動議官房長官菅某は「議会制民主主義の根幹にもかかわり国民の信頼を裏切る行為だ」と批判(日経)、って「議会制民主主義の根幹」揺るがしてゐるのはアンタの与する晋三のファッショ政権だよ、まったく。
▼明らかに世の中は今世紀に入りぐっと気違ひ。911パンドラの匣がひっくり返つたのだらう。ゐもしない敵との戦ひ。そこで必要のない果し合ひが続く。蘋果日報の土曜の社説にあたる蘋論で李怡先生が「在可詛咒的地方擊退可詛咒的時代」と題して書いてゐるのは

「世上如果還有真要活下去的人們,就先該敢說,敢笑,敢哭,敢怒,敢罵,敢打,在這可詛咒的地方擊退了可詛咒的時代!」――魯迅
我們都珍惜自由,而且也應該知道,自由的底線就是不能以侵害別人自由的方式去實現自己的自由。但當一方以暴力去侵害另一方的表達自由的時候,就是對核心價值的言論自由的戕害。我們的自由會因此流失。你也許沒有勇氣抗爭,但如果你珍惜自由,你就不能不支持「敢說,敢怒,敢罵」的積極抗爭的人,即使這人在憤怒中說了粗話,她也沒有教壞細路。

と(こちら)。ボルテールの「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」は新潟M記者が引いてこられた。それにThe Economistの“Security v freedom in the United States - Liberty’s lost decade”(こちら)も必読。

福島第一原発、汚染水危機 地下水、3週間で地表到達の計算 廃炉計画、破綻招く恐れ(朝日、こちら)と一面トップでも「朝日とか東京新聞みたいな反体制紙だから、こんなに騒いでみせるだけ」と思はれてお終ひかしら。これほどのことにもう慣れきつてしまつて鈍感になつてゐるノーマルパラノイアの怖さ。

*1:士林區舊名「八芝蘭林」(Pattsiran),為平埔族語「溫泉」之義。在漢人尚未入墾之前,為平埔族「麻少翁社」居住地。清朝時期實施堡里制,簡化其名為「芝蘭堡」(稍後再劃為芝蘭一堡)。清末時因當地讀書風氣興盛,科考人才輩出,遂改稱「士林」,有「士子如林」之涵義。:維基百科