富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2013-07-10

農暦六月初三。昨日の蘋果日報に和仁廉夫さんの写真が出てゐて場所はスタンレーの軍人墓地(記事こちら)。「日軍後人著書 追溯侵港暴行」といふ見出しで和仁さん上梓された『歲月無聲 - 一個日本人追尋香港日佔史迹』で、これは和仁さんの梨の木舎「旅行ガイドにないアジアを歩く」シリーズ『香港』(1996年)をもとにした中文でのアップデート版。購入しようと思つてゐたら和仁さんより「謹呈」と今日、郵送でこれが届く。深謝。総領事館参院選在外投票。地元は二人区で自民党新人(前副知事、公明党支持)が当確なので二人目は「腐っても民主党」の現職に当選してもらはないと。比例代表は政界再編あるまでは共産党だろう。晩に銅鑼湾の博多道場。曼谷Y氏、Z嬢と鼎談。黒じょかで薩摩の芋焼酎美味。中一日置いての同所だが元々は先日ここの経営者の方と食事会で同席してなか/\評判だが「さういへば……」と未だ一度も来たこともなく、で今日の会食此処にしたら一昨日はお誘ひいたゞいた相手から此処指定あり、の偶然。麦酒が朝日しかないのがスーパードライ嫌ひアタシには面白くない。
▼唯靈先生が信報の連載で中環舊懐の文章あり。五、六十年代の中環で当時、石板街にあつた鏞記で燒鵝瀬粉*1が每碗一元二角だつたさうだが、そこで「瀬粉」は当て字で正確には「酹粉」と書かれてゐる。「以有孔疏殼盛米漿酹入沸水中製成粉條」で酹粉。辞書で調べると「酹」の原意は「(神を祭るために酒を地に) 注ぐ」で、これが転じて沸騰した湯のなかで澱粉から麺状のものを作るのが「酹粉」。

沖縄は日本から分離独立したほうが幸せだらう。理想的には台湾とゆるやかな海洋連邦を組む。

*1:「瀬」は正しくは右に掲げた舊字