富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

神宮と秩父宮の入れ替え?

fookpaktsuen2013-07-07

農暦五月晦日小暑。いふまでもないことだが暦では未だ五月末。七月初七の七夕はまだ一月以上も先のこと。太陽暦の七月七日で七夕祝ふべからず。朝に驟雨、昼は晴れ夕方から黄色警報出るほどの大雨。朝日の朝刊に「神宮と秩父宮、入れ替え構想」と記事あり、もはや途絶えた秩父宮だが神宮と、って宮中で?神道で?何が……と訝しく思つたが「20年五輪を機に再開発」って東都の外苑で球場とラグビー場の位置替へについて。勝谷氏も目敏くこれを「少し前なら整理部のデスクが通さなかっただろう」と皇室に対する意識が違つてきてゐる点を指摘されてゐる。この記事、やはり表現に差し障りあつたらしく(菊のタブーがまだあるのか)後続版では「神宮と秩父宮、場所交換?」に見出し変更のオマケつき。日曜だが終日の出先仕事。帰宅途中にMTRの広告でMTR出前一丁のコラボ第三弾の発売が今朝だつたこと思ひ出す。前二回は早朝に入手に走つたのに何たる失態。今朝は仕事、仕事とまるで失念。恐る/\太古のMTR站で「まだあります?」と尋ねるが早朝だと客務ブースに段ボール箱で在庫あるのに、それが見えない=売り切れ?と焦るが机上にいくつか在庫あり。安堵。第三弾はキッチンタイマー。それにしても、こんなものに合計HK$285も費やしてしまつた。とても子ども相手のコレクションとは理解できず。帰宅して枝豆と麦酒。枝豆茹でるのにお茶の葉を入れ……と「ためしてガッテン」の世界だが確かに、だだちゃ豆のやうな美味しさが加味される。麦酒はサントリープレミアムモルツだが500ml缶が日本で安値でも290円だかなのに香港では179円くらゐ。朝三時頃起きるので晩飯後の記憶がないのは相変わらず。

▼神保太郎氏が『世界』三月号のメディア批評で引用してゐるが(日本の第二次安倍内閣発足での「熱い注文」に対して)海外の厳しい目として紹介するのがNYTの“Another Attempt to Deny Japan’s History” - 02Jan2013とThe Economistの“Down-turn Abe” - 05Jan2013の二つで前者が

  • Few relationships are as important to stability in Asia as the one between Japan and South Korea. Yet Japan’s new prime minister, Shinzo Abe, seems inclined to start his tenure with a serious mistake that would inflame tensions with South Korea and make cooperation harder. He has signaled that he might seek to revise Japan’s apologies for its World War II aggression, including one for using Koreans and other women as sex slaves.
  • It is not clear how Mr. Abe, the leader of the Liberal Democratic Party of Japan, might modify the apologies, but he has previously made no secret of his desire to rewrite his country’s wartime history. Any attempt to deny the crimes and dilute the apologies will outrage South Korea, as well as China and the Philippines, which suffered under Japan’s brutal wartime rule.

といつた点を指摘すれば後者も、この内閣に「経済改革派がいない」と長期的な財政規律無視した財政出動のあり様を厳しく批判した上で

  • For the rest, economic policy amounts to bashing the central bank and pandering to the “nuclear village” of big business which wants Japan’s unpopular reactors switched back on.
  • Calling the cabinet conservative misses its revisionist obsessions.

原発再稼働、保守派どころか歴史見直し主義など見逃すべきはない、と指摘。日本ではかうした主張をすれば偏見多き何かと困ったサヨクさんたちの少数意見と掃き捨てられるが、それがNY TimesやThe Economistの極めて一般的な意見なのだから。同じ号で樋口陽一先生も「いま憲法を「保守」することの意味」を語られてゐる(「決める政治」と決めさせない「市民」)。「決められない政治」を晋三ら自民党は非難し自らに「決める政治」をさせろ、といふが「決める政治」をひたすら求めてゆけば憲法の存在そのものが邪魔になるわけで近代民主主義とは法と自由が尊重されるものであり「単純多数決では変えられぬ約束事としての基本法によって権力を制限する立憲主義」の形をとる、と樋口先生。

去年の選挙の成りゆきを「保守化」と呼ぶメディアの言葉づかいは、見るべきものを見えにくくする。「戦後レジーム」が日本の近代史の積み重ねと無縁に「押しつけられた」という相変わらずの見方には、継承されるべき戦前の立憲主義への敬意が全く欠け落ちている。そのような歴史に対する無知を「保守」という言葉で遇するわけにはゆかない。

と、これこそ「保守」。実は晋三らが保守ではなく、とんでもない革新であること。ここで樋口先生も前述のエコノミスト誌の「新政権を「保守」と呼ぶことは、その本当の性格をとらえていない。それは過激ナショナリストの内閣なのだ」の指摘を挙げてゐるのは偶然だが尤ものこと。

世界 2013年 03月号 [雑誌]

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