富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

それでもあなたは自民党に投票しますか?

fookpaktsuen2013-07-03

農暦五月廿六日。昨晩十時前に寝たので今朝三時半くらゐに起きてしまふ。朝四時半には小鳥が囀り初め五時には明るくなるこの頃。山口由美『アマン伝説』読了。エイドリアン=ゼッカといふ稀代のホテル経営者が当然この物語の主だが、彼の兄嫁が名倉延子といふ女性で、この方が曾野綾子と聖心の同級生で曽野の従姉妹の娘がこの本の著者、山口さんで、話はコロンボ建築のジェフリー=バワ、鹿島昭一、リージェントホテル、バリ島、ヴァルター=シュピース、日本でのアマン誕生の計画、アマンと旅館の相似、俵屋に星野リゾート……と話は織り込まれてゐるが何より読んでゐてぞっとするのはスモールラグジュアリーリゾートを巡る投資会社とホテリエの攻防で、アマンもアタシは昔、アマンプロに宿泊した一度きりだが、快適なリゾートで客の見えぬ裏手でどろ/\と怨念の如き、買収と売却の物語。それほどリゾートホテルがビジネス的に収益率高いとは思へぬが、やはり魅惑的なのだらう。いずれにせよこの著者でしか書けない因果的、あの世界の人たちの世界。早晩にジムに寄るつもりがO氏よりの招飲受け太古坊のButterfield's Clubに麦酒飲み帰宅。カレーライス飰す。
▼内藤節「人々」と権力の暴走(六月卅日、都新聞)。「人々」といふ言葉がいつ成立したのか、と節先生。彼の住む群馬県上野村では誰彼にも名前があり「人々」存在せず、と。記紀の昔は支配者たちは物部氏蘇我氏と一人一人異なる人間として描かれるが政権に従属拒む人たちは「土蜘蛛」などと一括され江戸時代も民、百姓がそれ。それが近代になると「私たち地震が自ら人々という群れのなかに加わっていくように」なり、その人々は市民や労働者、サラリーマンや消費者であつたりする。今の時代では政治家は一人一人名前があるが我々は国民、有権者とひとまとめにされ、勿論、主権者は国民だと誰もが言ふが「国民のAさんやBさんの意見が直接政治を動かすわけでない」。

その結果「人々」は政治への参画を実感することができなくなった。それが政治への無関心や虚無感を浸透させ、投票率の低下を生み出している。あるいはタレントの人気投票のように「人々」の関心を集めることに成功した勢力が数多くの当選者を出す時代がつくられてしまった。だが、にもかかわらずそうやって生まれた政治権力は、ときに暴走し私たちの暮らしに大きな影響を与える。

節先生は「そういう時代をへて今日の日本では「人々」でしかない私たちから「私」という存在を取り戻そうという模索」が広がつてゐるとして、権力の暴走をチェックして原発推進憲法改正、社会的格差を正すため、権力の暴走を関しし食い止めるための手段として選挙制度がある、と説かれる。その通り。だが国民がそれをわかつてゐないから自民党圧勝となる。渋谷陽一先生の雑誌SIGHTは「それでもあなたは自民党に投票しますか?」と疑問呈す。それでも自民党に投票するのが豊葦原瑞穂国の民草。
▼母親が子育て放棄で別居、栄養摂取不足で発育不良の妹餓死の15歳姉を警察が保護責任者遺棄容疑で書類送検。同罪の適用は「乳幼児や高齢者らを保護する責任があることが前提で中学生を同容疑で書類送検するのは異例」(朝日)。この姉の責任問ふ権利が誰にあるのかしら。

「幸せの国」ブータンでネパール系国民が受ける抑圧について(紐育時報