富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

他是我們的人

fookpaktsuen2013-06-23

農暦五月十六日。朝五時頃起きてしまつたので六時のMTR始発に合わせMTR站に往き今朝から第一弾発売の「MTRx出前一丁車票套裝」で木器と記念乗車券ゲット。今日中に売り切れかしら、でも朝イチに並ぶほどオタクな好事家もをらず走つていつたので(ジョギングなのだが)かなりの好事家と思はれ笑はれる。帰宅しても朝六時半。日曜が長い。昼に笊うどんで昼酒。菊正宗の冷酒。昼寝。午後驟雨。宝塚記念は黄金船=ゴールドシップが香港では3番人気で5.9倍。ちなみに1番人気はジェンティルドンナ(1.5倍)、フェノーメノ(4.6倍)が2番人気。フェノーメノが4着でアタシは沈没。早晩にZ嬢と筲箕灣のAldrich Bay(愛秩序湾)街市の紹華小廚に飰す。愛秩序湾なんて名前は最低なサウンドだが19世紀中葉に英国海軍のアルドリッチ将校の名前戴いたのが此処で彼の中国語名が愛秩序なのだ、といふ。太古に戻り無印でZ嬢と別れ西湾河の電影資料館。天気悪しく今宵の超満月は拝めず。今晩の映画はゴールデンハーベスト社映画特集で張之亮監督の『中國最後一個太監』(1988年)。清朝末期に貧村で都から下郷の太監(宦官の最上層)の絢爛さに目を奪われ自ら去勢を父に請ふた少年が主人公。貧農で知恵もなき父は息子の陽具切り落とし少年は父に背負はれ村を出る。北京で京劇の小屋に拾はれ女形として修業する少年(莫少聰が好演)。この芝居小屋主の役で洪金寶がさすがに芝居上手。青年は芝居見物に来た一人の軍閥に見初められ宮殿へのコネを得て宦官として宮勤め始めるが時は遅し、で宦官らは宮殿を追はれ路頭に迷ふ……で郷里で兄妹のやうに育つた娘(溫碧霞)、それで出遭ふ革命党員(劉絀華)と日本が攻め込む北京で波乱の人生の幕開け。宮殿で最後に溥儀に使へた太監を午馬(1946〜)が演じるが見事な老宦官役の牛馬は当時42歳とは。映画終はりiPhoneで都議選の開票速報をNHKで見る。自公圧勝は驚かぬが民主予想以上に揮はず共産党善戦。維新2議席が吉事。「自民党はどんな苛政をしこうがせいぜい「お灸をすえる」程度の有権者民主党に対してはズバリ「死ね」という」と金澤のH君。御意。
▼「多维独家:斯诺登已离开香港前往莫斯科」と元CIA関連の米国青年スノーデン君今朝のアエロフロート便で莫斯科に向け離港、と多维新闻がスクープ(こちら)。離港から二時間半後のことで、さてネタ元は何処?と気になるところ。香港政府も「斯諾登已循合法途徑離港往第三國」と午後三時には公式にこれを認める。それにしても「自行循合法和正常途徑」って自分でアエロフロートのフライト押さへて香港警察の薄扶林にある安全施設からのこ/\出てタクシーで空港に行つてチェックインしたとでも言ふのかしら。ロシアはトランジットだと米国籍でもロシア総領事館(湾仔新鴻基中心)でビザ取得しなくても良かったんだろうが。欧米のマスコミもリレー的に報道続くなか日本の通信社も新聞もまるで蚊帳の外。
▼梁文道兄「他是我們的人」(蘋果日報)より。周海嬰魯迅與我七十年』から引用で1957年に毛主席が湖南時代からの老友羅稷南に「要是今天魯迅還活着,他可能會怎樣?」と尋ねられると毛大人「以我的估計,要麼是關在牢裏還要寫,要麼是識大體不做聲」と答へたといふ。魯迅といへば中共に貶毀されぬ数少ない現代作家の一人だが毛澤東にかかつてはこの見方。その後、陳丹青『胡適之先生晚年談話錄』読むと台湾に旅居の胡適は大陸に残つた魯迅につき「魯迅是不會屈服的,他是我們的人」と評したといふ。文道兄曰く魯迅胡適にとつて最大の論敵だつたが

近幾年來,我常常想起胡適這句簡潔有力的斷言,甚至想像他說這句話時的情景。因為我看到太多好友反目的事了,不管香港還是內地,許多昔日同道皆因一時政見的歧異而走上了陌路,且不憚以最陰損最惡毒的言語去攻擊對方的人格。然而胡適,他深知對岸形勢之凶險,壓力之沉重,卻仍然毫不懷疑魯迅的堅毅。看來他甚至沒想過魯迅會「識大體不做聲」;但凡魯迅讀者,恐怕都會同意胡適真懂魯迅。這個「我們」指的當然不是政治見解上的「我們」,而是心靈自由、始終一如的「我們」,是身為真正有擔當的獨立知識份子的「我們」。他知道要瞭解一個人,不在一時分合,而在他一路下來的言行。即便歧異若此,他相信魯迅終究是「我們的人」。

▼本日、仙台のTaracoさん誕生日。日比谷花壇から「まるで演歌さんの楽屋に届くやうな」ベタな胡蝶蘭贈るとかなりウケる。釜石のP君から「釜石は全く復興進まず、生業、住まい、土地、本来、救済のための新たな法案化が不可避だが政府は従来の法体系を被災地に押し付けるだけで進捗が早いのは国土交通省ご発注の防波堤工事だけ、震災特需に沸く土建屋の社長さんたちの鼻息だけが荒く祇園に遊ぶ一方で二重ローンの債務者は借金取りに怯え仮設住まいの高齢者は孤独死に怯える毎日、仮設住宅団地に漂う、どんよりとした重苦しい空気、弱いものからばたばた倒れてゆく……これが、被災地の現実です」と。最後に「釜石に来てください」と。「この国は、無茶な築城工事に金と労力を搾取していた時代と基本的に何ら変わっていないことが、被災地に来ていただくとよく分かります」。