富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Eugene Pao師匠とTeriver Cheung

fookpaktsuen2013-06-15

農暦五月初八。朝から強い雨模様。昼すぎに銅鑼湾。誠品書店。誕生月の会員特典で何かくれる、といふので出かけたらHK$50の現金券と書店隣接のCaffe HABITUの買一送一の券。一人だつたので珈琲二杯要らぬが、すぐ打合せだつたので誰かに上げればいゝとカフェラテHK$38で2つ、一つは飲んでいかうとカフェの入り口のテーブルに坐つたらウェイターが「最低消費額があるので坐ると差額をいたゞきます」とぬかす。カフェで珈琲一杯の客に坐らせぬとはカフェと名乗るべからず。エコエコアザラク。打合せ済ませ23系統のバスでのんびりと香港大学。図書館。泉鏡花の全集(岩波版)から偶然に巻四を手にして「辰巳巷談」読む。この巻の付録に高橋義孝先生が鏡花と能といふテーマで書いてゐるのだが鏡花は謡曲の呼吸に近い、とこの文章がまた格別に面白いこと。Z嬢来て大学美術館でRené Burriの“Utopia”と題した写真展見る。まだLe French Mayなのだ。Le Corbusier師の建築現場での写真が素敵。1955年のNorte-Dame du Hautと1959年のVilla Savoyeでのル=コルビジェ。マグナムフォトに属したRené Burriにはピカソチャーチル、チェゲバラ、ブラジリアなど著名な写真いくつもあるが、今回の作品展のポスターにも採用されてゐる頤和園昆明湖(1964年)が素敵。今回はとても小さな4Rくらゐの作品集にはめ込まれてゐる。水街の坂を下り光記食店で軽く夕食。久々にちゃんと食事出来て麦酒も美味い。この食肆午後六時半だともう満席。西環からA12の小西湾往き空港バスに乗る。A12は港島東区往きだが西海底トンネル潜り西環だけ経由するルートにしたのは卓見。空港からエアポートエクスプレスで香港站に着いても近くても不便な西環の住民ばかりか西環から鰂魚涌以東に向かふ者には速くてHK$8で快適なエアポートバスに乗れるのも嬉しい。西環出ると湾仔まで見事にノンストップで大雨のあとで大気も澄んでゐて思はず動画撮り。一旦帰宅して晩遅く尖沙咀。Z嬢とDadaといふクラブでEugene Pao師匠とTeriver Cheungといふ香港生まれカナダ育ちで紐育ベースに活躍するギタリストにベースはScott Dadd、ドラムはHong Chanutr Techatanananといふカルテットのジャズを聴く。ジャズライブなんていつ以来かしら、といふくらゐご無沙汰。Teriver Cheungに関する信報だつたか、の記事を見て今晩来て若手ながら確かにお上手、だがやはりEugene Pao師匠と並ぶと師匠の経験は流石で音色がまた抜群。Pao師匠も香港代表するジャズミュージシャンだが漸く後進に恵まれ嬉しさう。Hongといふ曼谷から参加のドラムが立派。タイ人のドラムは初めて。ライブの最後に彼の友人の同じくHongといふベースが飛び入り参加したが、この演奏が往年のウェザーリポートのやうに音が厚くて今晩最良。タイ人のドラムとベースとは目から鱗。深更一時近く天文台道からタクシーで香港島に戻る。
▼「諾獎得主崔琦舊居 變愛國教育基地」蘋果日報こちら)。1998年に「分数量子ホール効果」発見でノーベル物理学賞受賞の物理学者ダニエル・C・ツイ博士(1939〜)中国河南省出身で12歳のときに母が彼を香港に遣り培正中學に学び19歳で米国留学、1982年からプリントン大学で教鞭とるが郷里を離れる頃が大躍進政策の時期で河南省では信陽事件に象徴される餓死者多数、ツイ博士の父はとくに共産党への獻媚嫌ひ配給食料がとくに少なく両親とも餓死。ツイ博士ノーベル賞受賞後は郷里の寶豐縣の小村では「おらが村の」で舊居改築し博士の記念館建立。中共河南省委は何度も博士に帰省、学校建設の援助、北京での学術会議出席など請ふたが拒まれた挙句、記念館にした舊居の記念館を全市青少年愛国主義教育基地に指定した由。呆れて言葉もなし。
▼FT紙四月十八日に麻生太郎君投稿の“Japan is fighting back at stagnation”(こちら)は“The key insight of Abenomics is that deflation cannot be destroyed by one bazooka. That is why we are firing three...”と豪語されてゐたが今となつては寂寥の感あり。それにしても、だうすれば三本の矢がいつのまにかバズーカ砲になるのかしら。アクション劇画の読み過ぎか。

橋下まで追悼式に出席の由。オスプレイ八尾空港受入れ構想で沖縄担軽減アピールが目的なんでせうね。